観念の語源・由来
観念は、仏教用語で「観想の念仏」の略。「観」は、知恵を持って観察し、悟りを得ることを意味するサンスクリット語「vipaśyanā」の漢訳。「念」は、心に思うことを意味するサンスクリット語「sm
観念は、仏教用語で「観想の念仏」の略。「観」は、知恵を持って観察し、悟りを得ることを意味するサンスクリット語「vipaśyanā」の漢訳。「念」は、心に思うことを意味するサンスクリット語「sm
「うわばみ」は15世紀頃から見られ、古代語の「をろち(おろち)」に代わって用いられるようになった語。うわばみの「うわ」は、「上回る」「上手」などと同様の「うわ」とする説と、「大(おほ・うは)」が転
娑婆は仏教から出た言葉で、「忍耐」を意味するサンスクリット語「saha」の音写。この世は内に煩悩があり、外は苦しみを耐え忍ばなければならない俗世であることから「忍土」と漢訳され、自由のない世界は「
用心棒は用心のために備えておく棒、盗賊などから身を守るために身近に用意しておく棒のことで、武器的な役割をする棒をいった。転じて、博徒などが警戒のために雇う武芸者を「用心棒」と呼ぶようになり、ボディ
粗相は、仏教語の「麁相(そそう。旧かなは「そさう」)」を語源とする説がある。「麁相」とは、人の「生・住・老・死」のこと。事物の無常な姿をとらえた「生・住・異・滅」の四相にならったもので、「麁四
懇ろは、上代には「ねもころ」と言い、「ねもころ」が変化して「ねむころ」となり、更に「ねんごろ」へと変化した。「ねもころ」の語構成は、「ね(根)」+「もころ(如)」か、「ね(根)」+「も(助詞)」+
垢抜けは、垢や汚れが落ちてさっぱりしていることを「垢が抜ける」と言ったことから、「素人臭い」や「田舎臭い」の「臭い」を「垢」に見立てたものである。同義語に「灰汁が抜ける」もあり、ともに江戸時代から
極楽とんぼの「極楽」は、安楽で何の心配もない場所や境遇。「とんぼ」は昆虫のトンボのことで、極楽とんぼは、のんきに生活している者を極楽を飛ぶトンボのようなものとたとえた言葉である。現代ではあまり
ふぐりの漢字「陰嚢」は当て字で、本来の読み「いんのう」である。ふぐりの語源には、「フクラグ(脹)」の意味、「フクレククリ(脹括)」の意味などあるが、「フクロ(袋・嚢)」の意味であろう。形や色が
よすがは、「寄せるところ」を意味する「寄す処(よすか)」に由来し、古くは「よすか」と清音であった。身や心を寄せるところは、頼りにするところでもあるため、頼みとする人も「よすが」と言うようになった。
身体を水で洗い清めることから、禊は「ミソソギ(身滌・身濯)」の約と考えられる。「ソソギ」は「すすぐ(そそぐ)」の連用形が名詞化した語で、水で洗い清める意味から、「汚名をそそぐ(すすぐ)」など罪や穢
よばいは動詞「呼ばふ」の連用形「呼ばひ」が名詞化した語で、「夜這い」と書くのは当て字。上代から見られる語で、本来、男性が女性のもとに通い、求婚の呼びかけをすることを「よばい」と言った。「よばい