虻蜂取らずの語源・由来
虻蜂取らずは、「虻も取らず蜂も取らず」が簡略化された語。クモの巣を張ったクモが、虻がかかったのを見て取りに行こうとしたところ、蜂もクモの巣にかかったので虻を放っておいて蜂を取りに行く。すると、
虻蜂取らずは、「虻も取らず蜂も取らず」が簡略化された語。クモの巣を張ったクモが、虻がかかったのを見て取りに行こうとしたところ、蜂もクモの巣にかかったので虻を放っておいて蜂を取りに行く。すると、
しょうがないは、本来「しようがない(仕様がない)」で、発音のしやすさから変化したもの。「仕」は当て字で、動詞「為る(する)」の連用形「し」。「仕様」は「するさま」のことで、方法や手段を意味した
おなじの「おな」は「おの(己)」、「じ」は形容詞化接尾語「じ」で、「己自身のようだ」「自分らしい」という意味が語源と考えられている。上代には同義語に「おやじ(親似)」があることから、「親に似ている
いたちごっこは、子供の遊びに由来する。その遊びは、二人一組で相手の手の甲を交互につまみ合ってくもの。素早くつまみ合うところが、イタチやネズミの素早さと噛み付く様子に似ているため、「いたちごっこ
まじめの「まじ」は、「まじろぐ」の「まじ」と同じで、しきりに瞬きするさまのこと。じっと見つめるさまを表す「まじまじ」も、元は目をしばたかせるさまを表していた。まじめの「め」は、「目」の意味であ
身から出た錆の「身」は、刀の鞘に納まっている部分を指す「刀身」のこと。刀の手入れを怠ると刀身から錆が出て、いざという時に使い物にならず、自分の命(身)を落とすことになる。そこから、刀の「身」と
「丈(じょう)」は長さの単位で、1丈は近代の日本では3.03メートルであるが、周尺では約1.7メートルで成人男性の背丈にあたる。「夫」は「おっと」のことではなく、「男性」を意味する。中国では成
四苦八苦は、本来、人間のあらゆる苦しみのことをいう仏教語である。「四苦」とは「生老病死(しょうろうびょうし)」のことで、人間として逃れられない必然的な苦しみをさす。「八苦」とは、生老病死の四苦
我慢は、仏教語で七慢のひとつで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」である。その中の「我慢」は、自分に執
のっぴきならないの「のっぴき」は、「退き引き(のきひき)」が音便化された語。「退く(のく)」も「引く」も、避けることや逃れることを意味する。それに打ち消しの「ならない」が付いて、避けることも退
酷いは、人としての道理に外れていることを意味する漢語「非道(ひどう)」が形容詞化された「非道い」が語源である。そこから「非常識だ」の意味になり、「残酷だ」「むごい」などと、しだいに意味が悪くなり、
「メリハリ」は、邦楽用語の「メリカリ」が転じた言葉です。この「メリカリ」は、低い音を「減り(めり)」、高い音を「上り・甲(かり)」と呼んでいました。一般的には「減り」は「減り込む」などで使われる言葉で