滅法の語源・由来
滅法は仏教用語で、因縁に支配される世界を超え、絶対に生滅変化しない真如や涅槃といった絶対的真理のことで、「無為法(むいほう)」の別名である。滅法に「因縁を超越した絶対的なもの」といった意味が含まれ
滅法は仏教用語で、因縁に支配される世界を超え、絶対に生滅変化しない真如や涅槃といった絶対的真理のことで、「無為法(むいほう)」の別名である。滅法に「因縁を超越した絶対的なもの」といった意味が含まれ
「べらぼう」は、漢字で「箆棒」と書かれていますが、これは当て字で、その語源は寛文年間(1661~1673年)の末頃に見世物小屋で評判になった奇人に由来しています。この奇人は、全身が真っ黒で頭が
甚だしいは、副詞「甚だ(はなはだ)」を形容詞化した語。上代に「極端」の意味を表す「はだ(甚)」という語があり、それを重ね合わせた「はだはだ」が変化して「はなはだ」になったと考えられている。「は
凄まじいは、動詞「すさむ(荒む)」が形容詞化した語。古くは「すさまし」と清音であったが、鎌倉時代頃から「すさまじ」と濁音化された。清音から濁音に転じたのは、「同じ」の「じ」など、比較の際に用い
とんでもないは、「途でもない(とでもない)」が変化した語。「途」は「道」「道程」の意味から、「手段」や「物事の道理」も意味するようになった語で、同じ用法の和製漢語には「途轍」「途方」がある。そ
途轍の「途」は「道」、「轍」は「わだち(車が通った後に残る車輪の跡)」のこと。転じて、途轍は「筋道」「道理」の意味。そこから、とてつもないは「筋道から外れている」ことを表し、「常識では考えられ
「馬が合う」は、乗馬に由来する言葉で、乗馬では馬と乗り手の息が合わなければなりません。馬と乗り手の呼吸が完璧に調和している状態を指し、「馬が合う」と表現されます。この概念は、人間同士にも応用され、気が
藪蛇は、「藪をつついて(たたいて)蛇を出す」を略した言葉。わざわざ藪をつついて蛇を出し、その蛇に噛まれる愚かさから、不必要なことをしたために、面倒を引き起こすことをいう。「藪をつついて蛇を出す
ぞんざいの語源には、「そざつ(麁雑・粗雑)」の転とする説と、「存在のまま」を略した「存在」の意味とする説がある。「ぞん」は「そ(麁・粗)」の意味と考えるのが妥当であるが、「そざつ」が変化したとは思
「雑把」は雑にまとめられたものを表す語で、「大雑把」以外では、薪にするために切り割ったした木切れの「薪雑把(まきざっぽう・まきざっぱ)」に使われる。方言では、燃料にする屑板の束や、粗い茶の葉を「ざ
「ダサい」の語源については、一般的には「田舎」を指す方言「だしゃ」が形容詞化され、「だしゃい」や「だしゃ臭い」と変化し、「ダサい」となったとされる説があります。しかし、実際には方言で「だしゃー」と表現
野暮は、遊郭などの事情に疎いことを意味していたが、その意味が転じ、洗練されていないことを広く意味するようになった。野暮の語源には、田舎者を意味する「野夫」が転じたとする説と、雅楽の楽器「笙(しょう