鬱陶しいの語源・由来
鬱陶しいは、心がふさいで晴れないことを意味する漢語「鬱陶(ウッタウ)」が形容詞化された語。現代では「鬱陶しい」と形容詞の形で用いられるが、日本でも古くは漢文語法で「鬱陶」が用いられていた。もと
鬱陶しいは、心がふさいで晴れないことを意味する漢語「鬱陶(ウッタウ)」が形容詞化された語。現代では「鬱陶しい」と形容詞の形で用いられるが、日本でも古くは漢文語法で「鬱陶」が用いられていた。もと
「南無三」は仏教用語「南無三宝(なむさんぼう)」の略語です。「南無」はサンスクリット語の「namas(ナマス)」や、パーリ語の「namo(ナモ)」から派生し、「帰命」「帰依」「信じてよりすがる」といっ
みじめは、「見じ」と「目」からなる語。「見じ」の「じ」は打消し推量の助動詞で、「見じ」は「見たくない」の意味。「負けじと頑張る」の「じ」も、同じ打消し推量の助動詞である。「目」は「痛い目に
紋切り型は、文字通り、紋を切り抜くための型を指した語。近世頃から、「決まりきったやり方」を言うようになった。古くは「型通り」の意味しかなく、悪い意味に限られた言葉ではなかったが、時代が下がるに
無頓着は、「頓着」の否定形。「無頓着」が用いられる以前の否定形は、「頓着無い」「頓着せず」と言っていた。頓着は「貪着」や「貪著」と表記し、「トンヂャク(トンジャク)」といった。「貪」はいく
とかくの「と」は、「あのように」「そのように」を意味する副詞。「かく」も「斯くして」などと使う副詞で、「このように」「こう」を意味する。この二つの副詞が一語となった「とかく」は、「あれやこれや
「是」は「正しいこと」、「非」は「不正」の意味で、本来、「是非」は良いことと悪いことを表す名詞である。「とも」は「共に」の意味で、是非ともを全て漢字にすると「是非共」と書く。是非ともは「事情が
かろうじては、漢字で「辛うじて」と書くとおり、「辛い」が語源。「からくして(辛くして)」が「からうじて」となり、さらに「かろうじて」に音変化した。形容詞「からし(辛い)」の塩気が強い味の意味か
鈴なりの「鈴」は、神楽鈴のこと。神楽鈴は、12個または15個の小さい鈴を繋いで柄に付けたものである。果実が群がってなるさまが、神楽鈴の鈴の付き方と似ていることから「鈴なり」と呼ぶようになり、物
潔いは、「いさぎよし」の口語。潔し(潔い)の「ぎよし(ぎよい)」は、「きよし(清し)」の連濁。潔いの「いさ」は、程度の甚だしいさまを表す「いた・いと(甚)」、「いさむ(勇む)」の語幹とする説や
やさぐれるは、不良の間で使われていた隠語「やさぐれ」が転じた言葉である。「やさぐれ」の「やさ」は、「鞘(さや)」の反転で、刀の刀身部分を入れる筒の意味から「家」を表す。「やさぐれ」の「ぐれ」は
ペテン師の「ペテン」は、詐欺を意味する中国語「bengzi」が訛った語。日本では明治初期から用例が見られ、「ペテン」に「偽造」の漢字を当てた例も見られる。この語が使われ始めた頃は、「ペテンをす