スベリヒユの語源・由来
スベリヒユの「スベリ」は、茹でて食べる時に葉の舌触りが滑るようであることからか、葉茎に光沢があり滑らかだからといわれる。スベリヒユの「ヒユ」は、ヒユ科のヒユに似ていることからだが、花や葉はまったく
スベリヒユの「スベリ」は、茹でて食べる時に葉の舌触りが滑るようであることからか、葉茎に光沢があり滑らかだからといわれる。スベリヒユの「ヒユ」は、ヒユ科のヒユに似ていることからだが、花や葉はまったく
ムクゲは奈良時代に渡来した植物で、漢名の「木槿」に由来する。漢字の「木」の字音は「ボク」「モク」、「槿」は「キン」「コン」「ゴン」なので、「モクキン(モッキン)」が訛って「ムクゲ」になったと思われ
ウグイス嬢は、ウグイスの美声にたとえた呼称。野球場で場内アナウンスをする女性を「ウグイス嬢」と呼ぶようになったのは、1947年4月3日、元NHK職員の青木福子を採用したことが始まりと言われる。
高槻は戦国期に「高槻庄」で見えるのが古く、それ以前は「高月」と記した。「高月」から「高槻」転じたのは、高い槻の木(ケヤキの呼称)の近くに本陣が立てられたことからといわれる。高槻の元となる「
豊橋市の中心部は、中世から江戸時代まで「吉田」という地名であった。「吉田」の名は全国に多くあり、紛らわしいことから、明治新政府は「吉田」の藩名を変更するよう命じた。藩主が選んだ「豊橋」「関屋」
小平の地名は、1889年(明治22年)の合併時の新命名。神奈川県北多摩郡の小川村・小川新田・廻田新田・野中新田与右衛門組・野中新田善左衛門組・鈴木新田・大沼新田が合併して誕生した「神奈川県北多摩郡
久留米の名は、室町時代に「久留目」で見え、戦国期に「久留米」と記すようになった。久留米の由来には、玖留目神の神名説、来目皇子の人名説、呉部の機織り説などあるが、「クルメ(包め)」もしくは「クルメク
東大阪市は、1967年(昭和42年)に布施市・河内市・枚岡市が合併して誕生した市。市名は大阪市の東に隣接することに由来する。合併時の新命名だが、俗称としては合併以前から用いられていた。
リュウゼツランは、漢名「龍舌蘭」の借用で、葉の形を竜の舌に見立てた名。リュウゼツランの花は、咲くまでに長い年月を要することから、「万年蘭(マンネンラン)」や「百年草(ヒャクネンソウ)」の異名もある
宝塚の「塚」は「古墳」のこと。「宝塚」と呼ばれた塚(古墳)はいくつかあるが、特定の塚ではなく、そう呼ばれる塚が多くあることに由来すると思われる。塚の名に付けられた「宝」は、瑞祥的な命名であろう
球磨村は、1954年(昭和29年)に球磨郡の渡村・一勝地村・神瀬村が合併して誕生した村で、村名は郡名に由来する。飛鳥期に「熊県」で見え、「球磨」の表記は『和名抄』の「球磨郷」から見られる。球磨
夕顔は、夏の夕方に白色の花が咲き、翌日の午前中にしぼむことから、この名がある。俗に、ヨルガオを「ユウガオ」と呼ぶことも多いが、ヨルガオはヒルガオ科の植物で、ウリ科のユウガオとは異なる。アサガオ