沈黙は金の語源・由来
西洋から入ったことわざ「Speech is silver, silence is golden.(沈黙は金、雄弁は銀)」からだが、日本では「言わぬは言うにまさる」や「不言実行」などが褒め称えられていた
西洋から入ったことわざ「Speech is silver, silence is golden.(沈黙は金、雄弁は銀)」からだが、日本では「言わぬは言うにまさる」や「不言実行」などが褒め称えられていた
何事も終わりの方が困難でなので、百里の道も九十里歩いたところで、まだ半分だと思い、最後まで気を抜かずに辛抱することが必要であるとうこと。限りなく終わりに近づいていることを強調して、「九十(里)」を
物が十分に煮えておらず、食べられない状態の意から、決断力がない態度を表す。
お鉢は「飯鉢」の丁寧語で、飯櫃(めしびつ)のこと。飯櫃が回って、ご飯を盛る順番が自分のところに回ってくることから。多くの人で食事をしている風景から生じた言葉といわれる。
昔は一日の時間が十二刻で、大きく二つに分けて、朝六つ夜六つの刻であったことから、2×6で一日中を表した。一日が二十四時間になった現代では、「四六時中」という。出典:二六時中 - 故事ことわざ辞
多くの盲人が象を撫でてみて、各自の手に触れた部分の感想を語るが、それらの感想はすべて像の一部に過ぎず、象の全形ではない。それでも、自分の主張が正しいと信じて疑わないため対立するという、インド発祥の
対義語の「恩を仇で返す」の方が有名なため、この言葉を逆の意味にしたように思えるが、「仇を恩で報ずる」の方が古くから例が見られる。出典:仇を恩で報ずる - 故事ことわざ辞典
雑木に紛れてわからなかった桜の木も、花を咲かせればすぐに桜と知れることから。出典:桜は花に顕わる - 故事ことわざ辞典
対象となるものに目が奪われて、他が見えなくなるほどの意から。出典:目を奪われる - 故事ことわざ辞典
せっかく沸かした湯を、何も使わず冷まして水にしてしまったり、水に入れてしまうという意味から。「水にする」だけでも、無駄にする意味で用いられるが、元の形が「湯を沸かして水にする」かといわれる。出
「無我」は、もと仏教語で、我という捕らわれを離れることを意味し、そこから、我を忘れる意となった語。「夢中」は、物事に熱中して我を忘れること。出典:無我夢中 - 故事ことわざ辞典
春蘭も秋菊もともに趣があって美しく、見捨てがたいところから。出典:春蘭秋菊倶に廃すべからず - 故事ことわざ辞典