肝胆相照らすの語源・由来
肝胆相照らすの出典は、中国の『故事成語考』。「肝胆」は肝臓と胆嚢のことで、中国では肝臓と胆嚢が心の働きをするところと考えられており、「心の奥底」「真実の心」を意味するようになった。肝胆相照らす
肝胆相照らすの出典は、中国の『故事成語考』。「肝胆」は肝臓と胆嚢のことで、中国では肝臓と胆嚢が心の働きをするところと考えられており、「心の奥底」「真実の心」を意味するようになった。肝胆相照らす
本来、ちょっかいはネコが片方の前足で物を掻き寄せる動作を意味する語であった。そのことから、ちょっかいの「ちょっ」は「ちょっと」の意味。「かい」は「掻き」の意味で、「ちょっ掻き」のイ音便化と考えられ
馬が道端に生えている草を食べていて、なかなか進まないことから、目的地へ行く途中で、他のことに時間を費やすことを「道草を食う」と言うようになった。自らが他の物事に時間を費やす意味で用いるほか、「病気
パニックは、英語「panic」からの外来語。「panic」は、ギリシャ神話に登場するヤギに似た角と足をした牧神「Pan」の名前に由来する。古代ギリシャでは、昼寝を妨げられたPanが、人や家畜に
とことんは、日本舞踏で「トコトントコトン」という足拍子の音を意味し、転じて踊りの意味となった語で、近世には民謡などの囃子詞として用いられた。舞踏での「とことん」は、「床(とこ)」と「トン」という擬
江戸時代、髪の油を売る商人が婦女を相手にしていた頃、彼らは長々と世間話をしながら油を売っていました。この様子が転じて、無駄話をするなどして仕事を怠ることを「油を売る」と表現するようになりました。ただし
泥酔の「泥(でい)」は、中国の『異物志』に出てくる空想上の虫のこと。「でい」は南海に住み、骨が無くて水が無いと泥のようになると考えられている。その様がひどく酔った状態に似ていることから、「泥酔
ところてんの歴史は古く、テングサを煮溶かす製法は、遣唐使が持ち帰ったとされる。当時は、テングサを「凝海藻(こるもは)」と呼んでおり、ところてんは俗に「こころふと」と呼ばれ、漢字で「心太」が当てられ
壟断の「壟」は小高い丘のことで、壟断は丘の高く切り立ったところ(崖)の意味。壟断が利益や権利を独り占めする意味となったのは、欲深い男が丘に登って市場を見渡し、商売をするのに都合のよい場所や相手をみ
「普段」の本来の漢字表記は、「不断」である。不断の「絶えないこと」「いつまでも続くこと」の意味から、「いつもの状態であること」「日頃」の意味が派生した。そのため、当て字で「普段」と書くことが多
二束三文の「文」は、昔のお金の低い単位。二束三文は、二束(ふたたば)でも、三文というわずかな金額にしかならないことに由来する。「二足三文」と書くこともあり、江戸初期の「金剛草履」の値段が、二足
牛耳るは、中国の春秋戦国時代、諸侯が同盟を結ぶ際、盟主が牛の耳を裂き、皆がその血を吸って組織への忠誠を誓い合ったという『左氏伝(哀公十七年)』の故事に由来する。この故事から、同盟の盟主となることを