子は鎹の語源・由来
「鎹(かすがい)」とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、 両端の曲がった大きな釘。子は夫婦の間を繋ぎ止める鎹のようだということ。夫婦仲が悪くても、子どもがいれば簡単には別れられず、夫
「鎹(かすがい)」とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、 両端の曲がった大きな釘。子は夫婦の間を繋ぎ止める鎹のようだということ。夫婦仲が悪くても、子どもがいれば簡単には別れられず、夫
後のことは、野になるならなれ、山になるならなれ、という意から、当面のことさえ片付いてしまえばどうなってもかまわないということ。自分はするだけのことはしたのだから、後のことは知ったことではないという
一つの知識しかない上に、半分しか理解していないことから。南宋の詩人であった厳羽が「語りにも透徹の悟りと一知半解の悟りがあるように、文学にも一流と二流がある」と説いたのに由来する。仏教では、「半
時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどない。転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。
「騎虎」とは、トラの背中に乗ること。トラに乗って走り出すと、途中で降りたらトラに食い殺されてしまうので、仕方なく最後まで走り続けなければならないことから。『隋書・独孤皇后伝』に「大事すでに然り
夏の囲炉裏や冬の扇は、時期がはずれていて役に立たないことから。『論衡』に「益無き能を作し、補う無きの説を納るるは、夏を以て炉を進め、冬を以て扇を奏むるなり(役に立たない才能を振りかざし、役に立たな
よい行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪いことをしたという評判はあっというまに世間に知れ渡り、遠方までも広がるものである。宋の孫光憲による『北夢瑣言』に「好事門を出でず、悪事千里を行く」とある
「癩」はハンセン病。「瘡」は梅毒、もしくは「かさぶた」。「うらみ」は「うらやみ(羨み)」の転訛、もしくは「恨み」の意味という。ハンセン病の患者が、梅毒の患者をうらやむの意から。『江戸い
瓜の蔓には瓜しかならず、茄子も茄子の木にしかならないことから。出典:瓜の蔓に茄子はならぬ - 故事ことわざ辞典
まな板に乗せられた鯉のように、自分の力ではどうすることもできず、ただ調理されるのを待っている他ない状態の意味。相手に生死の鍵を握られ、どうあがいても逃げ場のない、絶体絶命の状態にあることをいう。
「長物」とは、長すぎて邪魔になるばかりで用をなさないものの意味から転じて、無駄なもののこと。出典:無用の長物 - 故事ことわざ辞典
秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもある。秋の季節の素晴らしさをいう句で、多く手紙などで時節の挨拶として用いられる。「肥ゆる」は文語動詞「肥ゆ」の連体形。