相槌の語源・由来
あいづちは江戸時代から見える語で、漢字では「相槌」や「相鎚」のほか、「合鎚」とも書いた。「槌・鎚(つち)」は、物を打ち叩く建築用の工具である。鍛冶が刀を鍛えるとき、師が槌を打つ合間に弟子が槌を
あいづちは江戸時代から見える語で、漢字では「相槌」や「相鎚」のほか、「合鎚」とも書いた。「槌・鎚(つち)」は、物を打ち叩く建築用の工具である。鍛冶が刀を鍛えるとき、師が槌を打つ合間に弟子が槌を
芝居は鎌倉時代に入ってから見られる語だが、当初は芝の生えている場所をいう現在の「芝生」の意味で用いられたり、酒宴のために芝生に座ることをいった。室町時代になり、寺の本堂などで猿楽や田楽・曲舞などの
1860年代のフロックコートに代わり、1870年代から普及したもので、この頃より「背広」の漢字表記が見られる。背広の語源は諸説あり、以下の順に有力とされている。1.軍服に対して市民服を意味する
おきゃんは、漢字で「御侠」と書かれ、接頭語の「御」と「任侠」などの「侠」の字を唐音読みした「侠(きゃん)」からなる。元々は、接頭語の「お」を付けない「きゃん」の形で使われ、勇み肌で粋なことや人を意
百姓は「ひゃくせい」とも読み、姓を「しょう」と読むのは呉音。「百」は「たくさん」、「姓」は豪族が氏(うじ)の下につけた称号「かばね」のことで、古代において百姓は「もろもろの姓を有する公民」の意味で
「敗北」の「北」は、方角を指しているわけではなく、漢字自体が二人の人が背を向け合っているさまを示しています。この漢字から派生して、「相手に背を向ける」「背を向けて逃げる」などの意味が生まれました。こう
デカは、明治時代に生まれた言葉で、もとは犯罪者仲間の隠語であった。当時、制服を着ず和服を着ていた刑事巡査のことを「角袖巡査(かくそでじゅんさ)」や「角袖(かくそで)」と呼んだ。「角袖」とは四角
白書は、イギリス政府が発行する公式外交報告書「white paper」の邦訳。「white paper」の名は、表紙が白いことに由来する。日本で最初の白書は、昭和22年(1947年)の片山哲内
レトリバー(Retriever)は、「レトリーブ(retrieve)」が「取り戻す」「回収する」を意味し、「獲物を回収する犬(狩猟犬)」であることからの名。ゴールデンレトリバーは、黄金色の毛からの
じゃれるは古語「戯る(さる)」から転じた言葉で、この「さる」は「ざる」ともいった。平安時代から見られ、機転が利く、気が利いているなどの意味で用いられていた。現在のような使われ方になったのは、機
手当ての「手」は、「手が足りない」という際の「人手」のこと。「当て」は「充当」の意味で、何か事をなすときに人手を当てることから、手当ては「準備」や「処置」の意味で用いられるようになった。手当て
一味は仏教語で、時・所・人によって現象は多様であるが、大海の味はどこでも同じであるように、本旨は同一で平等無差別であるといった教えであった。その意味から、一味は心を同じくして協力することや同志の意