木で鼻を括るの語源・由来
本来は「木で鼻をこくる」といい、「くくる」は「こくる」の誤用が一般化したものである。「こくる」とは「強くこする」の意味。木で鼻を強くこするような、冷淡なあしらいをすることから。出典:木で鼻
本来は「木で鼻をこくる」といい、「くくる」は「こくる」の誤用が一般化したものである。「こくる」とは「強くこする」の意味。木で鼻を強くこするような、冷淡なあしらいをすることから。出典:木で鼻
『俚言集覧』に見られる文句だが、この形が広く使われていたわけではなく、四以下は「一富士二鷹三茄子」の成立後に付け加えられたもの。よく「一富士二鷹三茄子には続きがあった」と言われるが、正確には「続け
鼠を捕ること以外は何の役にも立たないような猫であっても、その手を借りたいと思うほど忙しいという意味から。出典:猫の手も借りたい - 故事ことわざ辞典
「灯台」は、昔の室内照明器具で、油の入った皿に芯を浸して火をともす燭台のこと。燭台は周囲を明るく照らすが、その真下は影になっていて暗いことから。出典:灯台下暗し - 故事ことわざ辞典
「賽」とは、博打に使うさいころのことで、「采」とも書く。勝負を決めるさいころは、既に振られてしまったという意味から。古代ローマ時代、ポンペイウスと対立したカエサル(シーザー)がルビコン川を渡っ
小さな井戸の中に住む蛙は、大きな海があることを知らないという意から、物の見方や考えが狭いことを批判する場合に多く使われる。『荘子・秋水』に「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり(井戸の中
自分の手に負えないほど長いものには、逆っても無駄だからおとなしく従ってしまったほうがいいということ。弱者の処世術となる句だが、強い者に媚びることへの批判的な文脈で用いることのほうが多い。出典:
泣いてむくんでいる顔をさらに蜂が刺すということから、不運や不幸なことの上に、さらに不幸が重なることをいう。明治前期までは「泣きっ面を蜂が刺す」や「泣く面を蜂が刺す」の形で用いられた。古くから「
真珠の価値がわからない豚に真珠を与えたところで、豚にとっては何の役にも立たないことから。『新約聖書』マタイ伝・7章6に由来するが、今日では聖書由来のことわざと意識されず、「猫に小判」とほぼ同じ意味
枝垂れ柳の細長い葉が、風の吹くままにそよぐさまから。出典:柳に風 - 故事ことわざ辞典
目が弱っているところ、さらにその目が祟られる意味からではなく、弱っているときに、祟りまで加わるの意味から。「弱り目」「祟り目」の「目」は、「落ち目」や「控え目」と同じく、動詞の連用形に付きその状態
「高楊枝」とは、食後ゆうゆうと爪楊枝を使うという意味。名誉を重んじる武士は、貧しくて食事がとれない時でも満腹を装って爪楊枝を使うことから。武士の心意気が垣間見れるが、言い換えれば見栄を張ってい