とどのつまりの語源・由来 – 出世魚のボラは無関係
「とどのつまり」の語源には、ボラの成魚名「トド」に由来する俗説もありますが、「とど」は「止め」の意味であり、「とどこおり(滞り)」や「とどまり(留まり)」などと同根です。一方、「つまり」は、副詞の「つ
「とどのつまり」の語源には、ボラの成魚名「トド」に由来する俗説もありますが、「とど」は「止め」の意味であり、「とどこおり(滞り)」や「とどまり(留まり)」などと同根です。一方、「つまり」は、副詞の「つ
「がっかり」も「がっくり」も、共に擬態語が副詞になった語。特に「がっくり」は類似表現に「がくり」「がくっ」「がくん」「がっくん」があり、擬音語に近い擬態語で、物が折れ曲がるさまも表す。そのため
二の足を踏むの「二の足」とは、二歩目を意味する。一歩目を踏み出し、二歩目を踏み出すのに思い悩んで足踏みすることから、物事を進めるのに思い切ってできないことのたとえとして、「二の足を踏む」と使われる
駄目は囲碁用語で、双方の境にあってどちらの地にも属さない所を意味する。この場所に石を置いても自分の地とならず、無駄な目になることから、駄目は「やっても甲斐のないこと」「してはいけないこと」を意味す
自画自賛は、東洋画の詩歌・文章に由来する。東洋画では、その絵画に関した詩文を記すこと、また詩文そのものを「画賛」や「賛」と言った。普通、「賛」は他人に書いてもらうものなので、自分で描いた絵に「
うらやましいは文語「うらやまし」の口語で、動詞「うらやむ(羨む)」の形容詞化。うらやむの「うら」は、「うらむ(恨む)」「うらない(占い)」などの「うら」と同じく、「心」を表す語。うらやむの「や
一目置くは囲碁から生まれた言葉で、一目は一個の碁石を意味する。囲碁ではハンディとして、弱い方が先に石を一目置いてから対局を始める。そこから、相手の実力を認め敬意を払う意味となった。一目置く
文字通り、遠慮は遠くを慮る(おもんぱかる)こと、遠い将来のことまでよく考えることが本来の意味であった。その意味で「遠慮」が使われている言葉には、遠い将来のことを考えず目先のことばかり考えていると、
「多分」は、「大部分」「大多数」の意味。大多数の人が漏れなく付き従うという意味から、ご多分に漏れずは「他の大部分と同じように」「世間並み」「予想通り」という意味になった。「ご(御)」が付かない
噴飯は、食べかけの飯を思わず噴き出すという意味から、おかしくてたまらず、吹き出して笑うことを意味する。それに「もの(物)」の付いた「噴飯もの」は、食べかけの飯を噴き出してしまうような、おかしくてた
ふさわしいは、動詞「ふさう(相応う)」が形容詞化した語。ふさうは、平安時代に「ふれそふ(触添)」から変じた語で、「よく釣り合う」「似合う」という意味。漢字の「相応しい」は、意味から「相応(そう
瓜を二つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、よく似ているさまを「瓜二つ」とたとえるようになった。瓜以外でも、果実の断面はだいたい似ており、瓜が選ばれた理由は不明である。しかし、古くか