沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありの語源・由来
人生の局面を川の瀬に見立てて、浮き沈みがあることを表している。人生には良いことも不運なこともあり、不運なことばかりが続くわけではないから、くよくよしてもはじまらないということ。出典:沈む瀬あれ
人生の局面を川の瀬に見立てて、浮き沈みがあることを表している。人生には良いことも不運なこともあり、不運なことばかりが続くわけではないから、くよくよしてもはじまらないということ。出典:沈む瀬あれ
春秋時代、魯の国の尾生という男が、一人の女性と橋の下で会う約束を交わしたが相手はなかなか現れなかった。そのうちに大雨で川が増水してきたが、尾生はその場を立ち去ろうとせず、橋げたにしがみついて女性を
明日もらえると約束した百両よりも、今すぐもらえる五十両を受け取るほうが、確実でよいということから。未来などどうなるかわからないのだから、わずかでも現実に得られるもののほうがよいという意味も含む。
『新約聖書』マタイ伝第九章の一節に、「新しき葡萄酒を古いき革袋に入るることは為じ。もし然せば袋張り裂け、酒ほとばしり出てて袋もまた廃らん。新しき葡萄酒は新しき革袋に入れ、かくて両つながら保つなり(新し
「一念」は、一途に思いを込めること。決意。出典:一念天に通ず - 故事ことわざ辞典
「出花」とは、番茶や煎茶に湯をそそいだばかりのもの。醜い鬼の娘であっても、十八という年頃になれば、色気が出て魅力的に見えるものだし、粗末な番茶であっても、一番茶は香りがよく美味しいということから。
「仞」は古代中国の高さや深さの単位で、「九仞」は非常に高いという意。「簣」は土を運ぶかご。もっこ。「虧く」は損なうこと。高い山を作るのに、最後にもっこ一杯の土を欠けば完成しないことから。
「秋」を「飽き」にかけた言葉。冷たくなった秋の風で愛情が冷え込むことを表す。出典:秋風が吹く - 故事ことわざ辞典
『列子・説符』にある以下の故事に由来する。中国戦国時代、思想家の楊朱の隣家から羊が一匹逃げたとき、大勢の者が追いかけたが、道がいくつも分かれていたために、取り逃がしてしまった。そのことに対して
「掉尾」は、尾を振るの意味で、捕らえられた魚が最後の力を出して尾を振る意から転じ、物事の最後の意味になったといわれる。慣用読みで「とうび」とも。出典:掉尾を飾る - 故事ことわざ辞典
柳が色濃く茂ってほの暗い中、花が咲いて明るいの意味から。転じて、華やかな花柳界や遊郭のたとえとしても使う。陸游の詩『山西の村に遊ぶ』の「山重水複路無きかと疑えば、柳暗花明又一村(山が重なり川が
姑の嫁いびりの言葉で、秋鯖は脂が乗っておいしいことから。鯖は鮮度が落ちやすい魚なので、子供を産む嫁の体を気づかった言葉とも言われるが、この表現が成立した後に理由づけされたものであろう。出典:秋