借りる時の地蔵顔返す時の閻魔顔の語源・由来
「地蔵顔」とは、地蔵菩薩に似た優しい顔のことで、「閻魔顔」とは、地獄の閻魔大王のような恐ろしい顔のこと。「閻魔顔」は「閻魔面」や「十三面」とも。「借りる」は「借る」ともいう。出典:借りる時の地
「地蔵顔」とは、地蔵菩薩に似た優しい顔のことで、「閻魔顔」とは、地獄の閻魔大王のような恐ろしい顔のこと。「閻魔顔」は「閻魔面」や「十三面」とも。「借りる」は「借る」ともいう。出典:借りる時の地
陰陽師はは他人の吉凶を占うが、自分自身の運命に関してはまるでわからないの意から。出典:陰陽師身の上知らず - 故事ことわざ辞典
大きな犯罪をおかすような人はもともと強い性格の持ち主であるから、いったん悔い改めると中途半端にとどまらず、非常な善人になるということ。出典:悪に強ければ善にも強し - 故事ことわざ辞典
その人の身についた知恵は、その人の宝であるだけでなく、後の世の人にとってもなくし得ない、永遠の宝になるという意。出典:知恵は万代の宝 - 故事ことわざ辞典
春に種をまいたり、苗を植えなければ、実りの秋に収穫できるはずないことから。出典:春植えざれば秋実らず - 故事ことわざ辞典
孔子ほどの聖人君子であっても、ときにはつまづき倒れることがあるの意味から。「くじ」は、孔子(こうし)の呉音読み。出典:孔子の倒れ - 故事ことわざ辞典
豚に念仏を唱えても、猫に経を聞かせても、ありがたみが理解できないことから。出典:豚に念仏猫に経 - 故事ことわざ辞典
空念仏とは、信心の心がなく口先だけで唱える念仏のこと。非常な鬼が、心にもなく念仏を唱えてみせることから。出典:鬼の空念仏 - 故事ことわざ辞典
正論をとなえて理屈では勝っているように見えても、実質的には損をして負けたような立場に陥ることもあるというたとえ。出典:理に勝って非に落ちる - 故事ことわざ辞典
馬の上に乗っている人を射止めるには、まずその馬を射止めるのがよいことから。杜甫の詩『前出塞九首』に「弓を挽かんとせば当に強きを挽くべし、箭を用いんとせば当に長きを用うべし、人を射んとせば先ず馬を射
孟子が学業を半ばにして家に帰ると、母は織りかけていた機(はた)の織物を小刀で断ち切って、学問を途中でやめるのは、この織物を作る途中で断ち切るのと同じで、今までの勉学が無駄になってしまうと戒めた。孟
年老いた馬はとても利口で、道もよく知っているから迷うことがないことから。斉の管仲が道に迷ったときに「老馬の智は役に立つ」と言い、老馬の後についていくと、行くべき道が見つかったという『韓非子』にある