川崎市の語源・由来
川崎の地名は、鎌倉中期の弘長3年(1263年)に「河崎荘」で見え、江戸時代に「川崎」と記された。川崎の由来には、多摩川河口近くの土地で「川の先(崎)」とする説と、「崎」は「前(さき)」のことで「川
川崎の地名は、鎌倉中期の弘長3年(1263年)に「河崎荘」で見え、江戸時代に「川崎」と記された。川崎の由来には、多摩川河口近くの土地で「川の先(崎)」とする説と、「崎」は「前(さき)」のことで「川
松本は、近世の城下町名に由来する。城下町名は、天正10年(1582年)、小笠原貞慶が深志城に入って城名を「松本城」と改称したことによる。城名を「松本」とした由来については、小笠原貞慶が「待つ事
この地は「渭津(いつ)」と呼ばれていが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が渭津に築城した際、「徳島」と命名した。地名の由来は、吉野川河口で川に囲まれた三角州だったことから「島」、それに縁起の良
カワセミの「カワ」は「川」のことだが、「セミ」は昆虫の「蝉」ではない。「セミ」は古名の「ソニ」が「ソビ」に転じていることから、「ソビ」「セビ」「セミ」と変化したと考えられる。「ソニ」の「ニ」は
川越は治承4年(1180年)に「河越」の人名で見えるのが古く、地名では文治2年(1186年)の「河肥庄」が古い。川越の地名の由来には、入間川の川を越える土地の意味で「河越」とする説もあるが、入間川
島根県は、県成立時の県庁所在地であった郡名「島根郡(現在の松江市)」に由来する地名。『藤原宮木簡』に「嶋根郡」とあり、『和名抄』に「島根郡」の名が見られる。島根半島の地形に由来し、「しまね(島
前橋は、明治22年(1889年)に町制を施行し「前橋村」となり、明治25年(1892年)に市制を施行して「前橋市」となった。前橋の地名は、中世に「厩橋(まやはし)」で見え、江戸時代(慶安年間)に「
「固唾」は、緊張して息を凝らしている時などに、口の中にたまる固まった唾のこと。事の成り行きを案じ、じっと見つめたりしている時は、この固唾を呑むことから、そのような様子を表すようになった。
久保田藩が郡名の「秋田」を使い「秋田藩」と改称したことに由来する。古くは『日本書紀』に「齶田(あぎた)」「飽田」の名で見られ、天平五年(733年)の『続日本紀』で「秋田村」の名が見られる。語源
ロバは、漢語「驢馬」の字音に由来し、本来は「驢」の一字で「ロバ」を表す。「馬」が加えられて「驢馬」になった理由は定かではないが、馬の一種であることを明確にするためか、文字を安定させるため二文字にし
「助六」は、歌舞伎の名作である十八番のひとつで、「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の通称で知られています。「助六寿司」は、この劇の主人公である「助六」の名前に由来しています。助六
滋賀の県名は、県庁所在地の大津が属していた郡名「滋賀郡」に由来し、古くは「志賀」と表記された例も見られる。滋賀の地名の由来には、「石の多い所」の意味で「シカ(石処)」や、「スカ(砂処・州処)」の転