蛇の生殺しの語源・由来
「生」は、中途半端という意味を表す接頭語。蛇を一思いに殺さず、半殺しの状態にしておくの意味から。出典:蛇の生殺し - 故事ことわざ辞典
「生」は、中途半端という意味を表す接頭語。蛇を一思いに殺さず、半殺しの状態にしておくの意味から。出典:蛇の生殺し - 故事ことわざ辞典
16世紀、エドワード六世・エリザベス一世のもとで財務顧問を担当した貿易商グレシャムが唱えた経済法則で、エリザベス一世に提出した意見書にある言葉。「駆逐」とは、追い払うこと。現在では経済法則から
赤ん坊の「赤」は、生まれて間もない子の赤みがかった体の色を表す。この「赤」に、「食いしん坊」や「暴れん坊」など、そのような性質を持った人であることを意味する接尾語「ん坊」が付いて、「赤ん坊」となっ
17世紀の哲学者、数学者、物理学者であるパスカルの著書『パンセ』にある言葉「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」から。人間とは孤独で弱い生き
「巧言」とは、口先巧みに言葉をあやつること。「令色」とは、人にへつらうような愛想のよい顔つきのこと。「鮮し」は「少なし」と同意だが、原典に沿えば「鮮し」と書く。「仁」とは、他人を思いやる心
うきは市は、2005年(平成17年)、浮羽郡の浮羽町と吉井町が合併して発足した市で、市名は郡名に由来する。浮羽郡(うきはぐん)は、1896年(明治29年)に竹野郡と生葉郡の一部の区域をもって発足し
船頭とは、和船の船長のこと。一艘の船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないことを
孔子が言った「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」に由来する。君子は誰とでも調和するものだが、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことは決してしないということ。出典:和して同ぜ
敢えての歴史的仮名遣いは、「あへて(敢へて)」。あへては「耐える」「し遂げる」を意味する動詞「あふ(敢ふ)」の連用形「あへ」に「て」が付いた語。敢えては「耐えて」「し遂げて」の意味となり、耐え
僧の修業というものは、早朝からお勤めが始まり、食事も粗食で規則正しい生活を強いられる。出家しても、中途半端な気持ちでは修業の厳しさを乗り越えられず、三日経ったら還俗(出家した人が再び俗人に戻ること
上杉鷹山の「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」、また武田信玄の「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ」から。「為す」は、動作や行動をするという意味
ニラの語源には「ニホヒキラフ(香嫌)」の略説があるが、『古事記』では「加美良(カミラ)」、『万葉集』に「久々美良(ククミラ)」、『正倉院文書』に「彌良(ミラ)」とあり、「ニラ」が見られるのは平安時代後