三つ子の魂百までの語源・由来
「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子をいう。「魂」が「心」「根性」「知恵」、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。出典:三つ子の
「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子をいう。「魂」が「心」「根性」「知恵」、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。出典:三つ子の
「一陽」とは、冬から春になる兆しのこと。「来復」は、一度去ったものが再びやってくること。もとは易の語で、陰暦の十月に陰の気が極まり、十一月の冬至になると陽の気が復(また)めぐってくるの意味から
「顔」は対面、面目、名誉の意。その顔に汚い泥を塗るということから。出典:顔に泥を塗る - 故事ことわざ辞典
「起死」も「回生」も、死人を生き返らせるという意味。出典:起死回生 - 故事ことわざ辞典
「十色」は、十種類を意味する。人が十人いれば、考えや性質は十通りに分かれることから。出典:十人十色 - 故事ことわざ辞典
張り子の虎は、虎の形をした首の動くおもちゃ。よく首が振り動く仕組みになっていることから、首を振る癖がある人や、ただ頷くだけの人のたとえ。また、見かけは虎だが、紙で出来ていて中が空洞であることか
「業」は、行為、所作の意。本来は、よい行いにも悪い行いにもいうが、現代では主に、悪事を行なった者がその報いを受けるのは当然だという意味で用いる。出典:自業自得 - 故事ことわざ辞典
限りある水を自分の田んぼにだけに引き入れ、他人の田んぼのことは一切考えないことから。江戸時代には「我が田へ水を引く」「我が田に水引く」などの形で用いていたが、明治時代以降、四字熟語の形で使われるよ
「不倶」は、共存することができないこと。「戴天」は、同じ空の下で暮らすこと。一緒にこの世には生きられないということから、恨みや憎しみが深いことを意味する。『礼記・典礼上』に「父の仇は、
もとは仏教用語。特に仏教の宗派の一つである禅宗で、言葉や文字では表せない奥深い仏教の真髄を、師から弟子の心へ伝えることをいった。『景徳伝灯録』に「仏の滅する後、法を迦葉に対し、心を以て心に伝う」と
いくら論語を説いたとしても、その有り難みがわからない犬が相手では、効果がないことから。出典:犬に論語 - 故事ことわざ辞典
机の上で立てただけの空しい理論という意味から、実際には役に立たない実現性の薄い理論のこと。出典:机上の空論 - 故事ことわざ辞典