思い立ったが吉日の語源・由来
何か物事を始めようと思ったら、日を選ばずにただにち着手するのが良いという教え。「吉日」とは、暦によって知る縁起の良い日のことだが、このことわざでは物事をするのに良い日のこと。「きちにち」とも読むが
何か物事を始めようと思ったら、日を選ばずにただにち着手するのが良いという教え。「吉日」とは、暦によって知る縁起の良い日のことだが、このことわざでは物事をするのに良い日のこと。「きちにち」とも読むが
日頃から可愛がっていた相手や、恋焦がれていた相手に裏切られたりして、ひとたび憎いと思うようになると、その憎しみは可愛さの何倍も強くなるという意味。愛と憎しみは表裏一体であるということが伺える。
本来は「優秀な親から優秀な子」の意味だったが、誤用で「悪い親から悪い子」も意味するようになったといわれる。しかし、良い意味でも悪い意味でも古くから使用されており、古典に由来する言葉でもないため、誤
「玉」は、宝石・宝玉の意味。美しい宝石に、ほんのわずかなキズがあって惜しいところから。出典:玉に瑕 - 故事ことわざ辞典
寺の門前に住んでいる子供や、いつも僧のそばにいる子供は、日頃から僧の読経を聞いているから、いつのまにか般若心経くらいは読めるようになることから。人は自分の置かれている環境によって、無意識に影響を受
『平家物語』に「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」とあるのに由来する。栄華をきわめた平家の天下も長くは続かず、権勢を誇り驕慢になった者は必ず失脚するものである。勢いが盛んな時ほど慎
暴風雨が襲う前は、雨や風が一時的におさまって静かな状態になることから。不安を感じるような、不気味な静けさをあらわす。出典:嵐の前の静けさ - 故事ことわざ辞典
「瓜田」とは、瓜の畑。「履を納れず」は、靴に足を入れるという意味。瓜畑で靴が脱げても、瓜を盗むのかと疑われる恐れがあるので、屈んで靴を履き直すようなことはすべきではないということから。『文
「飛語」は「蜚語」とも書く。「流言」も「飛語(蜚語)」も根拠のないうわさの意味。「流言」は『礼記・儒行』、「蜚語」は『史記・魏其武安侯伝』に見られる言葉で、同じ意味であることから合わせて用いら
世阿弥が芸事を極める上での心構えとして残した言葉。『花鑑』に「当流に万能一徳の一句あり。初心不可忘」とある。「忘る」は「忘れる」の文語形。出典:初心忘るべからず - 故事ことわざ辞典
すぐれた者を白昼活動する鳥、つまらない者を暗くなってから活動するコウモリに当ててたとえたもの。出典:鳥なき里の蝙蝠 - 故事ことわざ辞典
囲碁や将棋で、下手な者がいくら長時間考え込んでも良い手が浮かぶことはなく、まるで何も考えずに休んでいるようなものだということから。出典:下手の考え休むに似たり - 故事ことわざ辞典