姑息の語源・由来
姑息の「姑」は「しゅうとめ」ではなく「しばらく」を意味し、「息」は「休息」のこと。「しばらくの間、息をついて休む」ところから、「その場しのぎ」の意味となった。姑息は「卑怯」の意味で用いられる事
姑息の「姑」は「しゅうとめ」ではなく「しばらく」を意味し、「息」は「休息」のこと。「しばらくの間、息をついて休む」ところから、「その場しのぎ」の意味となった。姑息は「卑怯」の意味で用いられる事
小賢しいは、「才知・分別があってしっかりしている」「かしこい」という意味の「賢しい(さかしい)」に、接頭語「小(こ)」が付いた語。「ちょっぴり」を意味する「小」を付けることで、智が足らないことを表
あざといの「あざ」を「浅(あさ)」とする説があるが、「浅」が「あざ」と濁る例はない。あざといには、「やり方があくどい」「浅はか」といった意味のほか、関西では「あどけない」の意味でも使用例があり、こ
相棒は、江戸時代の駕籠(かご)や畚(もっこ)の棒に由来する。駕籠や畚は二人一組で棒の端と端を担ぐことから、その相手を「相棒」といった。そこから、二人で協力して事をする時の相手も「相棒」というよ
「木」の語源については複数の諸説が存在しますが、明確な結論は未だ得られていません。一つの説として、「イキ(生)」の上略とするものが挙げられます。生命力あふれるものとしての木を表現する際に、「イキ」
草の語源は、「カサカサ」「グサグサ」といった音からとする説や、「毛」から分化したとする説。「クサフサ(茎多)」の約略や、毎年枯れることから「腐る」の意味など諸説あるが、どれも説得力に欠ける。「
楽しい時、人は手を伸ばして喜び舞うことから、「手伸舞(たのしまう)」や「手伸し(たのし)」が語源といわれる。その他、楽しいの語源には、田の面に五穀が伸びるのは楽の源であることから、「たの」は「田神
「面白し」という語が、現代の面白いとほぼ同じ意味で上代より使われているため、語源の特定は難しいが、以下の説が有力とされている。面白い(面白し)の「面」は目の前を意味し、「白い」は明るくてはっきりし
あどけないは、中世頃から「無邪気だ」や「子どもっぽい」という意味で用いられた「あどなし(あどない)」に、「け(気)」が加わったものと考えられる。「け」が加わったのには、「いとけなし(いとけない)」
愛くるしいは、漢語の「愛」に小柄で丸くクリクリした感じを表す「くる(くろ)」が付き、形容詞化したとする説と、「愛」に「狂おしい」が付き、「見苦しい」などの「くるしい」にひかれて「あいくるしい」になった
かわいいは、本来「不憫だ」「気の毒だ」といった意味を表す語であった。その意味を受け継いでいる言葉には、「かわいそう」がある。かわいいは「かはゆし(かわゆし)」の形で中古から見え、「かほはゆし(
秋の語源に関する複数の説があります。一つの説では、秋の語源は空の色が「清明(あきらか)な時期」からきているとされています。別の説では、穀物などの収穫が最も豊かな「飽き満ちる(あきみちる)季節」から派生