放題の語源・由来
放題は元々「傍題」と書き、和歌・連歌・俳諧などで、主題から離れたものを対象に詠むことをいったことこから、本題からはずれて勝手きままに行う意味が生じた。「傍」が漢音では「ハウ(ホウ)」のため「放」と
放題は元々「傍題」と書き、和歌・連歌・俳諧などで、主題から離れたものを対象に詠むことをいったことこから、本題からはずれて勝手きままに行う意味が生じた。「傍」が漢音では「ハウ(ホウ)」のため「放」と
すねの語源には、脚茎骨(あしぐきほね)の意味、進根(すすみね)の意味、足根(あしね)の意味と諸説ある。古くは「はぎ」と言ったが、「はぎ」から「すね」への音変化は考えられないため、上記のように「すね
鹿の角に蜂が刺しても、鹿は痛くも痒くも全く感じないことから、いっこうに手ごたえのないことのたとえとして、「鹿の角を蜂が刺す」と言うようになった。同様の句に「牛の角を蜂が刺す」があるが、どちらが先に
石に灸をすえても何も効果がないことから、効き目のないことのたとえとなった。同様に灸をすえることからたとえた句には、「土に灸」や「泥に灸」があるが、「石に灸」には、「石」という硬いものに灸をすえても
はずは、本来、弓の両端の弦の輪をかける部分や、矢の端の弓の弦を受ける部分のことである。このうち、矢のはずは弦とぴったり合うようになっていることから、当然そうなることを「はず」と表すようになった。
中央区は、昭和22年(1947年)、日本橋区と京橋区が合併して誕生した。合併時の新命名で、東京市(現在の東京23区)のほぼ中央に位置することから名づけられた。
調布市は、明治22年(1889年)の廃藩置県で、矢島村・国領村・上布田村・下布田村・布田小島村・上石原村・下石原村・飛田給村が合併した際に「調布村」と命名され、昭和30年(1955年)に神代町が合併し
カビの語源は、発酵する意味の「カモス(醸す)」の元の形「カム(醸)」の異形が「カブ(醸)」で、発酵してカビが生えることを「カブ」といい、その連用形から名詞に転じた説が有力とされている。ただし、『古
コノシロは、焼くと人間を焼いたような臭いがすることから様々な伝説があり、それらを語源とする説が多い。その伝説は、親が娘の嫁入りをやめさせるため先方には「娘は死んだ」と偽り、この魚を焼いて棺に入れた
高松の地名は、平安前期の『和名抄』に「高松郷」で見えるのが古い。1588年(天正16年)、高松郷の西方に豊臣秀吉の家臣であった生駒親正が居城を築き、「高松城」と称したことから城下町名となった。
宇多津は、古代にあった郡名「鵜足郡(うたりぐん)」に由来する地名。古くは「鵜足津(うたりつ)」と記し、のちに「宇多津」と表記されるようになった。「津」は「港」を表すため、宇多津は「鵜足郡の港」
ボラは「はらぶと(腹太)」とも呼ばれることから、「ほはら(太腹)」か「ほほはら(含腹)」が変化したと考えられる。また、体などが大きいことを「ボラ」と言う地方もあるので、体(腹)が大きいところから付