一を聞いて十を知るの語源・由来
孔子の弟子である子貢が、孔子の門人である顔回を褒めて「回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて以て二を知る(顔回は一を聞くと十を理解するが、自分は一を聞いても二を理解する程度である)」と言ったと
孔子の弟子である子貢が、孔子の門人である顔回を褒めて「回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて以て二を知る(顔回は一を聞くと十を理解するが、自分は一を聞いても二を理解する程度である)」と言ったと
「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略で、本来の形は「仏の顔も三度」だが、限界を強調するため「まで」を付けて言うようになった。慈悲深い仏様といえども、三度も顔を撫でるような無法なことをされれば腹を立て
衣服と食物は、生活をする上での根本であるから、それらが満たされることによって心にもゆとりができ、礼儀を知ることができるものだということ。『管子・牧民』に「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち
ここでの「至り」は、物事の成り行きや結果の意味。若い人は経験も浅く、人間としても未熟なので、無分別な行いをしてしまうことから。年配の人が若者の失敗をかばうときや、自分自身の過ちを若さのせいにす
雀のような小鳥が流す涙ほど少量の意から。出典:雀の涙 - 故事ことわざ辞典
「遠吠え」とは、犬などの動物が遠くで声を長く引いて吠えること。喧嘩に負けた犬が、遠くまで逃げてから吠えるようであるところから。出典:負け犬の遠吠え - 故事ことわざ辞典
「大同」は、ほとんど同じということ。「小異」は、ごくわずかな違いがあること。出典:大同小異 - 故事ことわざ辞典
「占める」は、占有する、手に入れるの意味から、(うまみを)知るの意。出典:味を占める - 故事ことわざ辞典
借金などで精神的に追い詰められると、首の周りの筋肉がかたくなり、動くはずの首も動かなくなることからという。出典:首が回らない - 故事ことわざ辞典
靴を履いたまま痒いところを掻くの意味から。『無門関・序』に「棒をふるって月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」とある。出典:隔靴掻痒 - 故事ことわざ辞典
「異口」は、いろいろな人の口の意で、「いこう」とも読む。「同音」は、口をそろえて言うの意。出典:異口同音 - 故事ことわざ辞典
「飴」は譲歩、「鞭」は弾圧をあらわす。19世紀の鉄血宰相ビスマルクの政策を評した言葉から。ビスマルクは、社会保険制度により労働者を優遇する一方で、社会主義者鎮圧法を制定し、国を支配した人物。