油断の語源・由来
油断の語源には、有力とされる語源が二説ある。ひとつは、『北本涅槃経 二二』の「王が臣下に油を持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じた」という話から、「油断」の語が生まれたとする説。もうひと
油断の語源には、有力とされる語源が二説ある。ひとつは、『北本涅槃経 二二』の「王が臣下に油を持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じた」という話から、「油断」の語が生まれたとする説。もうひと
口説くは「口で説く」が語源と思われがちだが、漢字は当て字である。くどくの「くど」は、擬態語の「くどくど」や形容詞「くどい」などの「くど」が動詞化され、「くどく」になったと考えられている。「くど
かなめの漢字「要」は当て字で、元々は、扇の末端にある骨を留めるための金具を指した。この金具は、カニの目のようであるところから、「かにのめ」と呼ばれ、「かのめ」「かなめ」と変化した。「かにのめ(
生憎の「生」は当て字で、「憎」は「憎らしい」の意味。本来の語形は「あやにく」で、近世以後に「あいにく」となった。「あや」は「ああ」や「あら」などと同じ感動詞。「にく」は形容詞「憎し(にくし)」
折檻は、中国『漢書』の「朱雲伝」の故事に由来する。その故事とは、前漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治に対し厳しく忠告したため、朱雲は成帝の怒りを受け、宮殿から追い出されることになった。しかし、朱
いけにえの「いけ」は、生かしておく意味の動詞の連用形で、「生け花」「生け簀(いけす)」「活け魚」の「いけ」と同じである。生け贄の「贄」は、神へ捧げる食物の意味で、多くは魚や鳥などを指すが、新穀を指
嫌味は、「いやがる」意味の動詞「いやむ」の連用形「いやみ」から出た形容動詞。漢字では「嫌味」や「厭味」と表記されるが「味」は当て字で、本来は「嫌み」もしくは「厭み」と表記するのが正しい。いかに
淘汰の「淘」は水洗いして選り分けることを意味し、「汰」は勢いよく水を流してすすぐことを意味する。そこから「淘汰」は、水で洗って選り分けるという意味になり、転じて、不要なものを除き、良いものを残すこ
懺悔といえばキリスト教のイメージが強いが、「懺悔」という言葉は仏教語からきている。罪を告白することを意味するサンスクリット語「kşama」の音写「懺摩(さんま)」の「懺」と、その漢訳「悔」との合成
うそぶくの「うそ」は、鳩などを呼ぶ時の口笛のことで、本来、嘯くは口笛を吹くことを意味した。嘯くが現在の意味に転じたのは、鳥の「ウソ」の鳴き真似をすることからという説。この口笛は、本物の鳴き声で
憂鬱は、『管子』や『韓詩外伝』などの中国古典にも見られる漢語に由来する語。憂鬱の「憂」は「心配」「悩み」「とどこおる」といった意味。「鬱」は「茂る」「群がる」「盛ん」のほか、「ふさがる」「こも
蔑ろは「無きが代(なきがしろ)」がイ音便化された語。「代」は「身代金」などにも使われ、「代わりとなるもの」を意味する。その「代(代わりとなるもの)」が無いということは、「代用の必要すら無いに等