色気より食い気の語源・由来
外見をきれいにして異性の気をひく恋愛よりも、おいしいものを食べたい気持ちのほうが強いことから。また、外観よりも内容、見た目より実益を気にする意味でも使う。出典:色気より食い気 - 故事ことわざ
外見をきれいにして異性の気をひく恋愛よりも、おいしいものを食べたい気持ちのほうが強いことから。また、外観よりも内容、見た目より実益を気にする意味でも使う。出典:色気より食い気 - 故事ことわざ
「鴛鴦」はおしどりのことで、「鴛」は雄。「鴦」は雌を表す。おしどりは、いつも雄と雌が寄り添って離れないことからいう。中国の春秋時代、深く愛し合いながらも悲劇の生涯を送った宋の韓憑夫婦の墓を守る
礼儀正しいことは良いことだが、あまり度が過ぎた礼儀は相手のご機嫌や顔色を伺うだけになり、それは礼儀ではなくなっている。過剰なご機嫌取りは礼儀とは言えず、かえって相手を不快にさせるという意。出典
「千篇」とは、数多くの詩文。「一律」は、同じ調子の意。『芸苑巵言』に「白楽天の詩は、千篇一律、詩道未だ成らず。慎みて軽々しく看る勿れ、最も能く人の心手を易う(白楽天の詩はどれもみな同じようなも
江戸中期の俳人、大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。この句は、いつの間にか桜の花が咲いていたことを詠んだものだったが、「三日見ぬ間の」と誤伝されたことで、世の儚さを、あっという間に散っ
「阿堵」とは、中国の晋・宋時代の俗語で「この」「あの」などの意。晋の王衍は日頃から妻が金銭に貪欲なことを忌み嫌い、「銭」ということばを決して口にしなかった。妻は王衍になんとしてでも「銭」と言わ
金属も石も堅く、容易に割れるものではないことから、「金石」はきわめて堅く、永久に変わらないもののたとえ。『漢書・韓信伝』に「今足下は漢王と金石の交わりを為すといえども、然れども終には漢王の擒とする
「瓜田」とは瓜の畑、「李下」とはすももの木の下のこと。瓜畑で屈んで履き物を直すようなことをすれば、瓜を盗んでいると疑われ、すももの木の下で冠をかぶり直せば、すももを盗んでいると疑われることから。
看板や見本として掲げられている物と違う物を売っていることから、外見と中身が一致していないことをいう。また、普段発する言葉と実際の行動が一致していないことの意味でも使う。出典:看板に偽りあり -
「牛刀」は、牛を解体するときに使われる包丁のこと。「焉んぞ」は、「どうして」の意味。小さな鶏を切るのに、どうして牛刀を用いる必要があろうかというところから。孔子の弟子である子游は、孔子
蓮華草は野に咲くから美しく見えるのであって、それを摘んできて家の中に飾っても調和せず、美しく見えないことから。播磨(現在の兵庫県)の滝野瓢水という俳人が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句「
暗い夜道や葬列などで、提灯を持って先頭に立ち、後から来る人の足下を照らす役のことから。出典:提灯持ち - 故事ことわざ辞典