武士は相身互いの語源・由来
「相身互い」は「相身互い身」の略で、同じ身分や立場の者が互いに助けあうことや、そういう間柄の意味。武士という同じ立場にあるのだから、武士同士は互いに助け合って協力し合わねばならないということ。
「相身互い」は「相身互い身」の略で、同じ身分や立場の者が互いに助けあうことや、そういう間柄の意味。武士という同じ立場にあるのだから、武士同士は互いに助け合って協力し合わねばならないということ。
「頂門」とは、頭のてっぺんのこと。「針」とは、病気を治療するときに体に刺す針のこと。「一針」は「一鍼」とも書き、「ひとはり」とも読む。鍼術には頂門に針を刺す治療法があり、頭頂の急所に針を刺
勝ち負けとはそのときの運によるもので、必ずしも強い者が勝ち、弱い者が負けるとは限らないということ。勝ちにも負けにも絶対はないのだから、勝ったから驕るべきでもないし、負けたから落胆する必要もない。
困窮し追い詰められた時にだけ、ふだんは神仏のことなど思い浮かべることすらないような者が、ひたすらそれを拝み倒し頼ろうとすることの身勝手さをいう。転じて、いつも知らん顔をしている者が、自分が困った時
「三秋」には、秋季の三ヶ月の意味もあるが、ここでは、三度秋を迎えるということから三年。一日会わなかっただけでも、三年も会わなかったように感じることから。『詩経』に「一日見ざれば三秋の如し」とあ
孔子が晩年に振り返って言ったことば。『論語・為政』の「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩
「児孫」とは、子供と孫。子孫。「美田」とは、地味が肥え、作物がよくとれる田地。よい田地を買うなどして、むやみに財産を残すことで、子孫が仕事もせずにのんきな生活を送るようになるのを恐れ、戒めたも
天に向かって唾を吐いても空を汚すことなど出来ず、吐いた唾が自分の顔にふりかかってくることから。『四十二章経』に「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を
「玉」は宝石のことで、「珠」「璧」とも書く。宝石が原石のまま磨かれなければ美しい光を放たないのと同じように、人もどんなに才能があっても、学問や修業を怠れば立派な人間にはなれないということ。『礼
「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略。仏様といえども、顔を撫でるようなことを三回も繰り返されれば腹を立てるの意から。出典:仏の顔も三度 - 故事ことわざ辞典
「丑三つ時」とは、昔の時刻で丑の刻を四つに分けたうちの三番目をいう。現在の時間では、午前二時から二時半頃にあたりで、化け物や幽霊が出る時刻といわれている。出典:草木も眠る丑三つ時 - 故事こと
「遠交」は、遠くの国と親しくすること。「近攻」は、近くの国を攻めること。戦国時代、范雎が唱えた天下征服の策略で、兵法三十六計の第二十三計にあたる。秦の昭襄王が採用した。『史記』には「王