現代のきんつばは四角形のものが多いが、昔は日本刀の鍔のように丸く平らな形をしていたことから、この名前がある。
鍔の形の菓子を作るのは、唐菓子にヒントを得たものと考えられている。
きんつばの「きん(金)」は何かと言うと、「ぎんつば(銀鍔)」に対しての「金」である。
1600年代末に、うるち米の粉を皮にして、赤小豆の餡を包んで焼いたものが京都に登場し、その色と形から「ぎんつば(銀鍔)」と呼ばれていた。
これが江戸に伝わった際、「銀よりも金だ」ということで「きんつば」となり、その時に皮も小麦粉に変わった。
四角形のきんつばが登場したのは、文化年間(1804~1817)の末頃、浅草馬道の「おかめのきんつば」という店から売り出された「みめより」という名のきんつばで、外見よりも中身の良さで人気を博した。
この頃、日本橋の魚河岸付近の屋台できんつばを売っていたのが、老舗和菓子店「榮太樓總本鋪」の元祖といわれる。