ところてんの歴史は古く、テングサを煮溶かす製法は、遣唐使が持ち帰ったとされる。
当時は、テングサを「凝海藻(こるもは)」と呼んでおり、ところてんは俗に「こころふと」と呼ばれ、漢字で「心太」が当てられた。
「こころふと」の「こころ」は「凝る」が転じたもので、「ふと」は「太い海藻」の意味と考えられている。
室町時代に入り、「心太」は湯桶読みで「こころてい」と呼ばれるようになった。
更に「こころてん」となり、江戸時代の書物では「ところてん」と記されている。
ところてんの歴史は古く、テングサを煮溶かす製法は、遣唐使が持ち帰ったとされる。
当時は、テングサを「凝海藻(こるもは)」と呼んでおり、ところてんは俗に「こころふと」と呼ばれ、漢字で「心太」が当てられた。
「こころふと」の「こころ」は「凝る」が転じたもので、「ふと」は「太い海藻」の意味と考えられている。
室町時代に入り、「心太」は湯桶読みで「こころてい」と呼ばれるようになった。
更に「こころてん」となり、江戸時代の書物では「ところてん」と記されている。