牛に引かれて善光寺参りの語源・由来
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見た。その牛を追いかけるうちに善光寺へ辿り着き、それがきっかけで度々善光寺に参詣するよ
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見た。その牛を追いかけるうちに善光寺へ辿り着き、それがきっかけで度々善光寺に参詣するよ
「成敗」とは、処罰という意味。戦国時代から近世初頭での「喧嘩」は、武力による争いを意味し、武力で抗争した者は、言い分の理非を問わず処罰された。現代では「喧嘩」の意味が広がり、武力を伴わない対立
「濫」とは、浮かべる、溢れるという意味。「觴」とは、さかずきのこと。孔子が弟子の子路を戒めた言葉「昔者、江は岷山より出ず。その始めて出ずるや、その源は以て觴を濫ぶべし(昔、長江は岷山から流れ出
「創業」とは、新しく事業を始めること。「守成」とは、築き上げたものを守り続けていくこと。国家を建設することよりも、それを維持することのほうが難しいという意からできたことわざ。唐の太宗が側近
「濡れ衣」とは濡れた衣服のことで、「無実の罪」の比喩。「無実の罪」は、犯罪だけでなく日常の小さな過失なども含まれる。出典:濡れ衣を着せる - 故事ことわざ辞典
一日だけ先に生まれたという意味から、少し年上であることをいう。転じて、経験などが一段上である意味にも使う。主に謙遜して言うことば。『論語-先進』には、孔子の言葉として「吾一日長乎爾、亟吾以
中国の春秋時代、越王勾践が呉王夫差と戦って敗れ会稽山に逃げ込み、屈辱的な講和をしたという故事に由来する。出典:会稽の恥 - 故事ことわざ辞典
帰心矢の如しの読み・別表記きしんやのごとし帰心矢の如しの意味故郷や我が家に早く帰りたいと強く思う気持ちのたとえ。故事ことわざ辞典「帰心矢の如し」の類語-出典:帰心矢の如し -
ルビコン川を渡るの読み・別表記ルビコンがわをわたるルビコン川を渡るの意味ある重大な決断・行動をすることのたとえ。故事ことわざ辞典「ルビコン川を渡る」の類語乾坤一擲/一擲乾坤を賭す/
憎まれっ子神直しの読み・別表記にくまれっこかみなおし憎まれっ子神直しの意味不明のことわざ。故事ことわざ辞典「憎まれっ子神直し」の類語-出典:憎まれっ子神直し - 故事ことわざ辞
人は、若いうちは先が長いものだと思っているが、すぐに歳をとってしまうもの。反して、学問は容易に修めがたいものであるから、若いうちから時間を惜しんで勉学に励むべきだということ。ここでの「少年」は
「縁」とは、人の力を超えたところで、人と人を結びつける力の意。多く、思いもよらない二人が結ばれるようなときに使う。異性関係以外で使うのは本来は誤りだが、現在では異性関係以外の結びつきにも使われ