雀百まで踊り忘れずの語源・由来
ここでの「踊り」は、雀の飛び跳ねるさまのことで、雀は死ぬまで飛び跳ねる習性が抜けないように、若い頃に身についた習性は年を取っても変わらないことをいう。古くは「踊り」の連想から、道楽や浮気に対して使
ここでの「踊り」は、雀の飛び跳ねるさまのことで、雀は死ぬまで飛び跳ねる習性が抜けないように、若い頃に身についた習性は年を取っても変わらないことをいう。古くは「踊り」の連想から、道楽や浮気に対して使
あまりにも呆れると、ぽかんと口を開いた状態のまま一言も言葉を発しなくなることから。出典:開いた口が塞がらない - 故事ことわざ辞典
「自家」は、自分・自分自身のこと。「撞着」は、つじつまが合わないこと、矛盾を意味し、「とうちゃく」「どうじゃく」とも読む。また、「撞著」とも書く。出典:自家撞着 - 故事ことわざ辞典
「呵」は息を吹きかけるという意味で、「呵成」は息を吹きかけるだけで完成すること。出典:一気呵成 - 故事ことわざ辞典
マタタビは猫の大好物で、香りを嗅いだり果実を食べたりすると恍惚となることから。出典:猫にまたたび - 故事ことわざ辞典
自分の肉を切らせておいて、相手の骨を切るという意味から。そもそもは、剣道で強敵を倒すための極意として使われることば。出典:肉を切らせて骨を断つ - 故事ことわざ辞典
口を開くと秋の冷たい風が唇に触れて、寒々とした気分になることから。人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃよかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによ
「五風」は、五日に一度風が吹くこと。「十雨」は、十日に一度雨が降ること。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることは、気候が穏やかで順調なことで、農作物に適した天候とされる。転じて、世の中
牛に引かれて善光寺参りの読み・別表記うしにひかれてぜんこうじまいり/牛に引かれて善光寺詣り牛に引かれて善光寺参りの意味他人に連れられて、普段行かない場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思
親子は一世夫婦は二世主従は三世の読み・別表記おやこはいっせふうふはにせしゅじゅうはさんぜ/おやこはいっせふうふはにせしゅうじゅうはさんぜ親子は一世夫婦は二世主従は三世の意味親子の関係は一世
「蟷螂」とはカマキリのことで、相手がどんなに強くてもカマキリは斧に似た前足をあげて立ち向かうところから。強がるたとえにも用いる。『韓詩外伝』にある次の故事に由来する。斉の荘公が狩りに行
「尻切れ」は、後ろのほうが切れて中途半端なこと。本来長く続くはずの物事が途中で切れることを、長いとんぼの尻が途中で切れていることにたとえた言葉。かかとの短い草履をいう「尻切れ草履」に由来すると