「五輪」という呼称は、新聞の見出しには「オリンピック」の文字が長すぎるため、スペースを節約する目的で作られた名であった。
初めて「五輪」が使われたのは、1936年8月6日付の読売新聞の見出し「五輪の聖火に首都再建」からである。
読売新聞の記者だった川本信正氏が、1940年オリンピックの東京招致を記事にする際、紙面の編集を担当する整理部から「オリンピックは6文字で長いから、なんとか略せないか」と相談を受けた。
川本氏は「国際運動」や「国際運競」なども考えたが、シンボルマークの五つの輪から「五輪大会」を思いついたという。
ちょうどその頃、菊池寛が『文芸春秋』に書いた宮本武蔵の『五輪書』のことを読んでいたことや、「五輪」とオリンピックの「オリン」で語呂が合うこともあり、「五輪」や「五輪大会」の名称で決まった。
ちなみに、1940年の東京オリンピックは、史上初めて欧米以外のアジアで行われる五輪大会であったが、日中戦争の影響で日本政府が開催権を返上したため、開催には至らなかった。