大分の地名は、古く「碩田(おほきだ)国」の名で見え、その後『豊後国風土記』に「大分郡」と見られることから、「おほきだ」が転じて「おおおた」になったと考えられる。
『豊後国風土記』では、景行天皇が訪れた際「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国と名づくべし。」と言ったとして土地の広大さに由来する説や、大分平野は広大で開かれた土地とは言い難いため「多き田」から転じたとする説がある。
しかし、「碩田」も「おほきだ」に対する当て字と考えられているため、「おほ」は「大きい」もしくは接頭語、「きだ」は「刻む」という意味で「刻まれた地形」を表し、大分川によって刻まれた河岸段丘のことと思われる。