盗人を捕らえて見れば我が子なりの語源・由来
人は誰でも自分の子を買いかぶるものだが、いざ盗人を捕まえてみたら我が子だったという皮肉なことが世の中には案外多いものである。犯人が我が子だとわかってしまったとき、警察に突き出すことも胸が痛むし、黙
人は誰でも自分の子を買いかぶるものだが、いざ盗人を捕まえてみたら我が子だったという皮肉なことが世の中には案外多いものである。犯人が我が子だとわかってしまったとき、警察に突き出すことも胸が痛むし、黙
「曲がらねば」とは、自分の主義・主張をむりに変える。気持ちなどを抑えるという意味。出典:曲がらねば世が渡られぬ - 故事ことわざ辞典
「庄屋」とは、江戸時代、主に関西で村落の長を指した語で「荘屋」とも書く。庄屋の長男は甘やかされて育つため、頭が悪くのろまな者が多かったことからいう。出典:庄屋の一番息子 - 故事ことわざ辞典
「意見の総じまい」とは、すべての意見を言い尽くすということ。放蕩者は金があるうちは何度忠告されても遊びをやめないが、金が無くなってしまえば、おのずと遊ぶことが出来なくなるので、最後の忠告と同じ効果
「矯める」は、矯正する。曲がったものをまっすぐにするという意味。曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって
材木の表面を削って滑らかにする鉋のように、酒は少しずつ体をむしばみ、命を短くしているの意から。出典:酒は命を削る鉋 - 故事ことわざ辞典
七度も乞食のような境遇に陥るといった大袈裟な表現。「七」は数の多さを表す言葉として使われる。
旅行などに行ったとき、行きにはまるで大名のように贅沢に使うが、必要な経費まで使ってしまい、帰りには旅費が足りなくなるの意から。無計画に金を使うべきではないという戒めを込めて使う。出典:行き大名
西洋で「ロバ」は「愚か者」「のろま」などの代名詞として使われる。ロバが馬になろうとして旅に出ても、ロバが馬になれるはずはなく、ロバはロバのままであることから。出典:ロバが旅に出たところで馬にな
「絵に描いた餅」と「棚から牡丹餅」との混同から。出典:絵に描いた牡丹餅 - 故事ことわざ辞典
雷が北国で鳴るところから、「北鳴り」と「着たなり」をかけて言うしゃれ。出典:北国の雷 - 故事ことわざ辞典
どこにでもいる雀を平凡な親に、立派な鷹をすぐれた子にたとえた言葉。出典:雀鷹を生む - 故事ことわざ辞典