1945年8月に、人類史上初めて実戦で使用された核兵器は広島と長崎に投下された原子爆弾です。これら二つの原爆は、使用された燃料、爆発力、被害状況などにおいて違いがあります。
広島に投下された原爆は「リトルボーイ」と呼ばれ、ウランを燃料として使用しました。その爆発力は約15キロトン(TNT換算)で、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって投下されました。当時広島の人口は約35万人で、爆発による死者数は約14万人と推定されています。
一方、長崎に投下された原爆は「ファットマン」と呼ばれ、プルトニウムを燃料としていました。その爆発力は約22キロトン(TNT換算)で、こちらもB-29爆撃機、今回は「ボックスカー」によって投下されました。長崎の当時の人口は約24万人で、死者数は約7.4万人と推定されています。
長崎原爆のほうが爆発力は広島原爆の約1.5倍でしたが、被害が比較的少なかったのは、長崎市が山に囲まれた地形であり、山が熱線や爆風を遮断したことが一因とされています。
また、広島と長崎の市民の反核運動や核廃絶に対する姿勢には特色があります。「怒りの広島、祈りの長崎」という表現は、広島が被爆者の怒りを表した峠三吉の原爆詩集「にんげんをかえせ」、長崎が世界平和を祈る永井隆の『長崎の鐘』などの代表文学に由来します。これは広島市民が平和を祈らないわけではなく、長崎市民に怒りがないわけでもないことを意味します。被爆地の表現には、地名をカタカナで「ヒロシマ」「ナガサキ」と書くことが多いです。
これらの事実は、核兵器の悲惨さと、被爆地がそれぞれ持つ歴史的な意義を示しており、核兵器廃絶への理解と意識を深めるために重要です。