半田の名は、順正寺の阿弥陀如来絵像の裏書きに「永正10年6月28日 尾州智多群坂田郷」とあるのが古く、「半田」と記すようになったのは江戸時代のことである。
「坂田」の読みは「はんだ」か「さかた」かは分かっていない。
読みが「はんだ」とすれば、半田には中世の刀池古窯跡群が残ることから、「ハニタ(埴田)」の転で、埴土の採取地を表す名と考えられる。
「さかた」と読んだ場合は、のちに「はんだ」と読むようになり、「半田」の字が当てられたことは容易に想像できるが、元となる「さかた」の由来については不明である。