果報は寝て待ての語源・由来
「果報」とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意味ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知
「果報」とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意味ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知
「諸行」とは、この世の一切の事物・現象。「無常」とは、この世にある一切のものは常に移り変わり、不変のものはないということ。仏教の思想にある根本的なもので、あらゆるものは刹那(一瞬)の間にも変化
両方の縁に刃のついている剣は、人を斬ることもできるが、一つ間違えれば自分自身も傷つけてしまう恐れがあることから。出典:諸刃の剣 - 故事ことわざ辞典
「光」は日、「陰」は月の意味で、「光陰」は月日や時間を表す。日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒めを含んでいる。出典:光陰矢の如し - 故事ことわざ
「三年」は三年ちょうどの意味ではなく、多くの月日を表している。冷たい石の上にも三年座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ。出典:石の上にも三年 - 故事ことわざ辞
「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子をいう。「魂」が「心」「根性」「知恵」、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。出典:三つ子の
「一陽」とは、冬から春になる兆しのこと。「来復」は、一度去ったものが再びやってくること。もとは易の語で、陰暦の十月に陰の気が極まり、十一月の冬至になると陽の気が復(また)めぐってくるの意味から
「顔」は対面、面目、名誉の意。その顔に汚い泥を塗るということから。出典:顔に泥を塗る - 故事ことわざ辞典
「起死」も「回生」も、死人を生き返らせるという意味。出典:起死回生 - 故事ことわざ辞典
「十色」は、十種類を意味する。人が十人いれば、考えや性質は十通りに分かれることから。出典:十人十色 - 故事ことわざ辞典
張り子の虎は、虎の形をした首の動くおもちゃ。よく首が振り動く仕組みになっていることから、首を振る癖がある人や、ただ頷くだけの人のたとえ。また、見かけは虎だが、紙で出来ていて中が空洞であることか
「業」は、行為、所作の意。本来は、よい行いにも悪い行いにもいうが、現代では主に、悪事を行なった者がその報いを受けるのは当然だという意味で用いる。出典:自業自得 - 故事ことわざ辞典