岐阜県の語源・由来

岐阜の地は古く「井口(いのくち)」と呼ばれていたが、永禄10年(1567年)、当時「井口城」や「稲葉山城」と呼ばれていた城を織田信長が陥落し、「岐阜」に改称した。
正式な改称時期は、「井口を改めて岐阜とする」とした天正3年(1575年)である。
命名者については、織田信長が命名したとする説と、織田信長の命により尾張の政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩が命名したとする説がある。

「岐阜」という地名になった由来についても諸説あり、以下の二説が通説となっている。
1.中国で縁起の良い地名と言われる、「岐山」「岐陽」「岐阜」の中から選定した説。
2.「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事にちなみ、「阜」は孔子の生誕地「曲阜」から、太平と学問の地となるようにという願いに由来する説。

上記二説が通説となっているが、『梅花無尽蔵』には「岐阜陽」、『仁岫録』には「岐陽」とあり、織田信長が改称する以前から、僧侶の間では「岐阜陽」、また略された「岐阜」や「岐陽」と呼ばれていたというのが事実のようである。
「岐阜陽」の語源は、中国では「岐」が「枝状にわかれた細い道」を表す語で、「陽」は「川の北側」を意味し、「阜」は「丘陵」を意味する。
南方に輪中地域があることから、「枝状にわかれた細い道」は「木曽三川」のことで、「川の北側にある丘陵」が「岐阜陽」であると考えられる。

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