だんじりの語源は諸説あり、屋台をじりじりと動かすことから、「台ずり」が転じたか「台躙り(だいにじり)」が転じた説。
「山車(だし)」が一部方言化された説。
道教や密教で「祭場」や「塚」を意味する「壇」を引きづる意味から、「だんじり」になったとする説などがある。
その他、後醍醐天皇の孫に当たる尹良親王が信州大川原で自害させられ、その子である良王親王が家臣に命じて仇敵の台尻大隅守を滅ぼし、その時「台尻討った」と皆が喜びはやした言葉が尾張津島天王の祭礼に残り、「台尻」が訛って「だんじり」になったとする説がある。
この近郊地域では、主に「山車」が用いられるが、尾張津島天王祭では「だんじり船」と言われ、注目に値する。
だんじりの漢字は「壇尻」や「楽車」のほか、「台尻」「地車」「花車」「屋台」など多くの漢字が当てられいているため、これらに語源をもとめることは無意味である。
岸和田だんじり祭りの由来は、元禄16年(1703年)、岸和田藩主であった岡部長泰公が、京都伏見稲荷を岸和田城内の三の丸に祀り、五穀豊穣を祈願した稲荷祭が始まりとされる。
当初のだんじりは簡素なもので、現在のようなだんじりが曳かれるようになったのは、文化・文政期頃といわれる。