皮肉は、中国禅宗 達磨大師の「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」が語源で、元仏教語。
皮肉骨髄とは、「我が皮を得たり」「我が肉を得たり」「我が骨を得たり」「我が髄を得たり」と、大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。
骨や髄は「要点」や「心の底」のたとえで「本質の理解」を意味し、皮や肉は表面にあることから「本質を理解していない」という非難の言葉であった。
そこから、皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった。
「皮肉な運命」や「皮肉な結果に終わる」のように、思い通りにならない意味は、非難の意味から派生したものであろう。
1838〜39年の人情本・梅之春には「芸者や幇間に難儀(ヒニク)をさせるお客なら」とあり、難儀の意味で皮肉が使われている。
非難される側にとって皮肉は都合の悪いことであるため、不都合や難儀の意味が生じ、思い通りにならない、期待とは違った結果になる意味も持つようになったと考えられる。