平塚市の語源・由来

平塚は、鎌倉初期から見える地名。
当地には、天安元年(857年)、桓武天皇三世の孫にあたる高見王の娘 政子(真砂子)が、京都から東国へ下る途中、この地で亡くなり、棺を埋めて墓とし塚を築いた。やがて、その塚の上が平らになったことから、「平塚」という地名が起こったという言い伝えがあり、「平塚の塚」という史跡もある。
しかし、政子という人物が実在したか定かではなく、あくまでも江戸時代に編纂された『新編相模国風土記稿』に基づく言い伝えである。

この言い伝えに関係なく、平塚は「台地状になった塚」を表したものか、地名用語で「ヒラ」は「傾斜地」を意味し、「ツカ」は「高所」をいうため、「傾斜のある高所」を表した地名の可能性もある。

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