昭和45年の市制施行の際に改称して「東久留米市」となった地名で、町村制施行時の明治22年には「久留米村」、昭和31年の町制施行時には「久留米町」であった。
久留米は、市内を流れる「黒目川」の旧称「久留米川」に由来し、近世から俗称として用いられている。
久留米川の「久留米」は、川の曲流を表す名と思われる。
市制施行時に「東久留米市」としたのは、既に福岡県に久留米市が存在し、行政的な混同を避けるためで、住民に親しまれていた武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の駅名「東久留米」を採用した。
駅名の冠称「東」は、福岡の久留米駅と区別するために付けたといわれる。