生き馬の目を抜くは、故事などから生じたことわざではなく、素早く物事をすることを「生きた馬の目ですら抜き取ってしまうほど早い」とたとえた表現である。
生き馬の目を抜くには、「他人を出し抜く」といった意味もあるが、「目を抜く」から「抜け目ない」が連想されたものか定かでない。
「馬の目」とたとえられた理由は、類句に「生き牛の目を抜く」があるため、人との関わりが深い動物だったことからと考えられる。
そして、牛よりも馬の方が足が速く、目を抜くことがより難しそうであることから、「生き牛」よりも「生き馬」が一般的に用いられるようになったのであろう。
その他、「生き馬の目を抜く」と同様の句には、「生き馬の目を抉る」や「生き牛の目を抉る」がある。
「抉る(くじる)」は、「えぐって中の物を取り出す」の意味。
「油断ならない」という意味においては、「尻毛を抜く」が類句として挙げられる。