瞳の語源には、「ヒトミ(日止視)」と「ヒトミ(人見)」の意味の二説ある。
「日止視」の意味はよく分からないが、日光を見た時に見えなくなるという意味とすれば、瞳が見るためのものであるにも関わらず、見えないことを基準に置くのは不自然で考え難い。
瞳は人を見るだけのものではないため、「人見」の説もおかしいように思えるが、相手のひとみを正面から見た時、そこには常に自分(人)の姿が写っているため、この説は十分に考えられる。
漢字「瞳」の「童」は「穴を通す」という意味で、「わらべ」や「わらわ」ではない。「瞳」の字は「眼球を突き抜ける穴」で「瞳孔」を表している。
もうひとつの漢字「眸」の「牟」は、「もとめる」「むさぼる」の意味があり、「眸」は「まぶたを押しのけて見る目」の意味がある。
「瞳」が目の中の黒い部分を指すのに対し、「眸」は「見開いた目玉」「目を見開いてよく見る」といった意味を含んでいる。