鬼に金棒の語源・由来
素手であっても元々強い鬼にはかなわないのに、鉄の棒まで加わったらますます強くなって立ち向かうことなどできないことから、強いものが良い条件を得て一段と強くなることをいう。出典:鬼に金棒 - 故事こと
素手であっても元々強い鬼にはかなわないのに、鉄の棒まで加わったらますます強くなって立ち向かうことなどできないことから、強いものが良い条件を得て一段と強くなることをいう。出典:鬼に金棒 - 故事こと
「触る」は、かかわり合いを持つという意味。主に、事なかれ主義や、逃げの処世をいう。出典:触らぬ神に祟りなし - 故事ことわざ辞典
「心頭」とは、心のこと。「滅却」とは、消し去ること。無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるということから、どんな苦痛であっても、心の持ち方次第でしのげるという教え。杜荀鶴の詩『夏
本来は「亀の甲より年の劫」と書く。「劫」は、きわめて長い時間。「甲」は甲羅のことで、「(亀の)甲」と「(年の)劫」の同音をかけてできたことわざ。亀は万年生きると言われており、それに比べれば
お産する前は本人も周囲の人も色々と心配することが多いが、終わってみると案外たやすく済んでしまうものであるということから。出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないと
一見負けたように見えたとしても、あえて争うことを放棄していったん相手に勝ちを譲ることのほうが、結局は勝ちに結びつく例が多いことから生まれたことわざ。出典:負けるが勝ち - 故事ことわざ辞典
「はばかる(憚る)」とは、幅をきかせる、のさばるということ。出典:憎まれっ子世にはばかる - 故事ことわざ辞典
『仁王経』の「盛者必衰、実者必虚(盛んな者はやがて衰え、満ちている者はやがてからっぽになる」に由来する。仏教にある人生観で、この世の無常を表している言葉。『平家物語』の冒頭にある「祇園精舎の鐘
「天網」とは、天の張りめぐらす網のこと。「恢恢」は、広くて大きい様。「疎」は、目が粗いこと。天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さな
自分の家を出て、なじみのない土地で暮らすことは苦労や困難も多いが、子は親元を離れ辛く苦しい体験をしてこそ成長するものだということ。昔は現代のように交通機関が発達していなかったので、旅は辛く厳しいも
魚を水中に放つと元気よく泳ぐことから。出典:水を得た魚のよう - 故事ことわざ辞典
この句のたとえとなっているのは、鳥のキジ(雉・雉子)。キジは追われると、草むらの中に頭を突っ込んで隠れたつもりでいるが、尾は丸見えになっていることから。一部だけを隠して、すべてを隠したつもりで