聞いて極楽見て地獄の語源・由来
人から聞いている話では極楽のように思えたことも、実際に見たり経験してみると、まるで地獄のようにひどいものであるということから。出典:聞いて極楽見て地獄 - 故事ことわざ辞典
人から聞いている話では極楽のように思えたことも、実際に見たり経験してみると、まるで地獄のようにひどいものであるということから。出典:聞いて極楽見て地獄 - 故事ことわざ辞典
楽しいことの後には必ず苦労が訪れる。良いことばかりは続かない、人生は苦楽相伴うものだということ。また、怠けた生活をしていれば後で必ず苦労することになるという戒め。逆に苦労をしておけば、後で楽が
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、「徒桜」とも書く。明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。『親鸞上人絵詞伝』に「明日ありと
奥歯の間に物が挟まれば発音も不明瞭になり、はっきり言わないで何か隠しているような言い方になることから。出典:奥歯に物が挟まる - 故事ことわざ辞典
「引かれ者」とは、罪人や処刑のために刑場に引かれていく者のこと。引かれ者が内心ではびくびくしながらも、強がって平気なふりをして、小唄を歌うの意味から、絶望的な状況にあっても無理して平静を装うことを
「馬齢」は、自分の年齢を謙遜していう語。出典:馬齢を重ねる - 故事ことわざ辞典
今にも落ちそうな危険な橋を渡ることから。特に法に触れる、すれすれのことをするときに使う。出典:危ない橋を渡る - 故事ことわざ辞典
男女のあり方を「度胸」と「愛嬌」の「きょう」の語呂を合わせて言ったことば。出典:男は度胸女は愛嬌 - 故事ことわざ辞典
「刎頸」とは、首を斬ること。斬首。その友人のためなら、たとえ首をはねられても悔いはないと思うほどの深い友情の意から。春秋時代、趙の将軍廉頗は、功績により自分より上位になった名臣藺相如を恨ん
「水練」は、水泳の練習のこと。いくら畳の上で水泳の練習をしても、実際に水の中で泳げるようにはならないことから。出典:畳の上の水練 - 故事ことわざ辞典
一人の人間が二足の草鞋を同時に履くことはできないことから、同じ人が普通は両立しないような仕事を一人ですることをいう。江戸時代、博徒が十手を預かることを「二足の草鞋」といった。博打打ちが十手を預
鮑は巻き貝の一種だが、殻が二枚貝の片方だけのように見えることから、「片思い」の「片」と掛けて言ったもの。『万葉集』に「伊勢の白水郎の朝な夕なかづくてふ鮑の独念(かたおもひ)にして(伊勢の海人が朝夕