高崎の地は、古く「赤土の坂のある所」の意味で「赤坂」、ついで「山に向かって扇状に田のある所」の意味で「和田」と呼ばれていた。
「和田」から「高崎」に改めたのは、1598年、当地に城を築いた井伊直政である。
直政が城地を「松ヶ崎」に改めとうとしたところ、龍広寺の開山僧 白庵和尚より「植物には栄枯があるため“松”ではなく、“成功高大”から“高”としたらどうか」と提言を受け、「高崎」と命名したという話が通説となっている。
その他、直政が小高い土地の崎を「高崎」と命名した。
提言したのは白庵和尚ではなく、恵徳寺の英澤和尚であった。
鷹を放って城地を定めたことから「鷹ケ崎城」と呼ばれており、それが転訛したなど、多くの説がある。