水清ければ魚棲まずの語源・由来
あまりにも水が清く澄んでいると、魚の餌になるプランクトンも繁殖しないし、魚が隠れることができないので棲みつかないことから。『孔子家語』入官には「水至清即無レ魚、人至察則無レ徒(水が清らかすぎれば魚
あまりにも水が清く澄んでいると、魚の餌になるプランクトンも繁殖しないし、魚が隠れることができないので棲みつかないことから。『孔子家語』入官には「水至清即無レ魚、人至察則無レ徒(水が清らかすぎれば魚
「絵図」は、絵、絵画の意味。地獄に堕ちた亡者がもがく苦しむさまを描いた絵の意味から。出典:地獄絵図 - 故事ことわざ辞典
西洋のことわざ「A drowning man will catch at a straw.」の翻訳。溺れた時に藁を掴んでも助かるはずなどないが、非常に困ってしまってどうにもならなくなったとき、人は
西洋のことわざの翻訳。ここでの「母」は、生み出すものの意。必要に迫られると、あれこれ工夫がなされ発明を生むから、必要は発明にとって母親のようなものだということ。出典:必要は発明の母 - 故
連理となった枝の意味から。「理」とは「木目」のことで、「連理」は2本の木が枝が連なって木目が通じ合っていること。中唐の詩人・白居易の『長恨歌』の中に、玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の夜に愛を誓い合った
「そう(然う)」は、「そのように」の意。「問屋」とは、商品を買い入れ、小売店に卸売りする業者のこと。いくら客の言い値で売れと言われても、問屋はそんな安値で卸売りしないの意味から。出典:そう
仏像を作っても、魂を入れなければ、単なる木や石と同じであることから。転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは作った努力もむだになるということ。出典:仏作って魂入れず - 故事こ
「高み」とは、周囲より高い場所のことで、「み」は接尾語。高い場所から下にいる騒いでいる人たちを眺めるように、第三者の立場から興味本位に見ていることをいう。出典:高みの見物 - 故事ことわざ辞典
空を飛ぶ鳥でさえも地に落ちてしまうほどの勢いという意味から。出典:飛ぶ鳥を落とす勢い - 故事ことわざ辞典
しなやかなものは弱そうに見えても、かたいものの矛先をうまくそらして、結局は勝つことになるということのたとえ。『三略』には「軍神に曰く、柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す(兵法の書にいう、柔らかいも
元は、遊女と遊客の金銭によって成り立っていた関係を表した言葉。男女の関係に限らず、世間は実利によって結ばれており、金がある時には、ちやほやしたり慕ってきた者も、金が尽きれば掌を返すように見向きもし
「有終」は、『詩経』大雅・蕩の「初め有らざるなし 克く終わり有る鮮し」から、終わりをしっかりしめくくること。出典:有終の美を飾る - 故事ことわざ辞典