掌中の珠の語源・由来
「珠」はきわめて大切に思う貴重なものの意で、「玉」とも書く。いつも手の平の中にある大切なものということから。傳玄の詩『短歌行』に「昔、君、我を視ること掌中の珠の如し、何の意か一朝にして我を溝渠
「珠」はきわめて大切に思う貴重なものの意で、「玉」とも書く。いつも手の平の中にある大切なものということから。傳玄の詩『短歌行』に「昔、君、我を視ること掌中の珠の如し、何の意か一朝にして我を溝渠
「忙中」は、忙しい最中。「閑」は、暇の意味。出典:忙中閑あり - 故事ことわざ辞典
掻けば痛いし、掻かなければ痒いという意味から、やってみたいが困る事情もあるため、やるべきかどうか判断に苦しむということ。出典:痛し痒し - 故事ことわざ辞典
蝶も花も可憐で美しく、いつくしむものであることから。男児にもいうが、特に女児に対して使う。平安時代には「花や蝶や」といい、江戸時代に「蝶や花や」「蝶よ花よ」と変化した。出典:蝶よ花よ -
「一丁目」は、「入り口」の意。町に入るときは必ず一丁目からというわけではないが、「一丁目」とすることで、この先に「二丁目」「三丁目」もあることが分かり、より恐ろしいことが待ち受けているスタート地点
フランスの博物学者ビュフォンが、1753年、アカデミーフランセーズへの入会演説で述べた言葉が有名になった。ビュフォンは、古代ギリシアの修辞学者で歴史家のディオニュシオス・ハリカルナッセウスの言葉を
目から鼻までの間がきわめて近いことから。出典:目と鼻の先 - 故事ことわざ辞典
「邯鄲」とは、中国の戦国時代の趙の都市のこと。盧生という貧しい若者が、邯鄲で呂翁という道士から不思議な枕を借りて一眠りしたときに、紆余曲折を経て立身出世を極めるという体験をした。しかし、それは
閑古鳥とは、カッコウの別称。人のいない閑寂な山里で、カッコウの鳴き声がもの悲しく聞こえるさまから。出典:閑古鳥が鳴く - 故事ことわざ辞典
「愁眉」とは憂いを含んだ眉のことで、転じて心配そうな顔つきの意。ほっとして、ひそめていた眉根を開くことから。劉兼の詩『春遊』にある言葉。出典:愁眉を開く - 故事ことわざ辞典
一般に、動物は雄が強く雌が弱いとされており、どちらが雄でどちらが雌かの区別をはっきり決めるの意味から。『史記・項羽本紀』に「願わくは漢王との戦いを挑み、雌雄を決せん(ぜひ漢王に戦いを挑んで、勝敗を
水面に浮かんでいる水の泡は、もろくてはかないものであることから。出典:水の泡 - 故事ことわざ辞典