市松模様は、中世までは「霰(あられ)」と呼び、石畳を模した模様であることから、近世以降は「石畳」と呼ばれていた。
江戸中期、歌舞伎役者の初代佐野市松が、舞台で白と紫の石畳模様の裃(かみしも)を着用したところ、彼の人気とともに江戸の女性たちの間で流行したことから、「市松模様」と呼ばれるようになった。
このほか「市松格子」「市松形」「市松小紋」、単に「市松」とも呼ばれる。
佐野市松が演じた役には、『塩屋判官古郷の錦』の楠正行、『心中万年草(高野心中)』の粂之助の二説あり、どちらが市松模様の由来となっているか定かではない。