羽子板は、硬貨をおもりにした羽根を蹴る中国の遊びが、室町時代に日本に伝わって変化したものと考えられている。
室町時代、羽根突きの羽根にはビャクダン科のツクバネの実が使われ、ツクバネの中国名「胡鬼」から「胡鬼板(こぎいた)」と呼ばれていた。
羽子板の「羽子」は、ムクロジの種に鳥の羽をさした羽根のことで、「羽(ハ)」は文字通り「羽(ハネ)」、「子(ゴ)」は小さいものに付く接尾語と思われる。
羽根に使われるムクロジは、漢字で「無患子」と書き、「子が患わ無い(わずらわない)」に通じることから、羽子板は無病息災のお守りとされた。
また、蚊を食べるトンボに似せた羽根を正月に突くことで、夏、蚊に刺されないと言われるなど、厄除けとしても羽子板が使われるようになった。
江戸中期に金箔・銀箔などで花鳥や福神が描かれた押絵羽子板、江戸末期には歌舞伎役者の似顔絵つきの押絵羽子板が作られるようになった。
年末に羽子板を売る「羽子板市」は、江戸時代から行われている東京浅草寺の「歳の市」が有名である。