姫路市の語源・由来

姫路の名は、奈良初期の『播磨風土記』に「日女道(ひめじ)」で見え、鎌倉期に「姫道」、戦国期に「姫路」と記すようになった。
日女道は「姫道」の意味で、丘(姫山)に登る小道に由来する地名である。
その丘に姫路城が築かれ、近世に「姫路」は城下町名となり、明治22年(1889年)の市制施行で「姫路市」となった。

『播磨風土記』には「蚕子(ひめこ)落ちし処は、即ち日女道丘と号す」とあるため、姫路の由来は「蚕子(養蚕業で飼うカイコのこと)が流れついた所」とする説が多い。
しかし、風土記というのは説話を楽しむもので、正しい地名の由来を知るための参考資料ではない。

現在は姫路市南部の区名として残る「飾磨」という地名も、『播磨風土記』の「鹿が居て啼いた」という話を鵜呑みにした人の間では、「鹿の出る谷間」に由来するといわれるが、飾磨の由来は「シカマ(石処間)」の意味で、岩山の小丘があちこちにあったことからと考えられている。

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