すき焼きは江戸時代から見られる名で、鍋の代わりに農具の鋤(すき)の金属部分を火の上にかけ、魚や豆腐を焼いて食べたことから、「鋤焼(スキヤキ)」と呼ばれるようになったといわれる。
その他、すき焼きの語源には、肉を薄く切るため「剥身(すきみ)」から「剥き焼き」となったとする説や、古くからある日本料理の「杉焼(すぎやき)」からとする説、好きなものを焼くからといった説もある。
しかし、1832年の『鯨肉調味方』に「鋤焼とは、鋤のよく擦れて鮮明なるを、熾火の上に置きわたし、それに切肉をのせて焼くをいふ。鋤に限らず、鉄器のよくすれて鮮明なるを用ふべし」とあるため、鋤の上で焼いた説が有力とされている。
江戸時代のすき焼きは、現代の焼肉や鉄板焼きのようなもので、関西風すき焼きにその名残をとどめる。
当時は牛肉が禁止されていたため、鴨や猪、鹿などの肉が使われた。
文明開化後、牛肉が庶民の食べ物として普及してからは、東京を中心に割り下を使うすき焼きが広まり、「牛肉鍋」や「牛鍋(うしなべ)」と言われ、やがて「牛鍋(ぎゅうなべ)」が関東では一般的な呼び名となった。
全国的に「すき焼き」と呼ばれるようになった時期は、それほど古くないようである。